意識を集めるということ〜愉気

体と心の話

整体法の訓練の一つに、「脊椎行気法」と呼ばれるものがあります。

頭頂部(または首の一番上)から背骨に息を吸い込んでいく、というもので、訓練法というより、一つの健康法ととらえてもいいかと思います。

 

もちろん実際に背骨に息が入ることなどありません。

かといって、どうせ背骨に息など入らないのだから…と考えながらやっていたのでは時間の無駄です。

丁寧に、本当に息が入ってくるかのようなつもりで、背骨に意識を集注することに意味があります。

そうすることで、本当に背骨に息が入ってくるかのような、リアルな体感覚として感じられます。

背中が温かくなって汗が出てきたり、背骨がポキリと音をたてて動くことさえあるんです。

 

 

このように、「意識を集める」ということで体は変化を起こします。

恥ずかしいことを思い浮かべるだけで顔が赤くなったり、心臓の鼓動が激しくなったりするのも、意識による肉体の変化の一例ですね。

 

鼻でも顎でも、誰かにじっと見つめられるとむず痒くなってくるのも同じです。

これは自分で自分の体を意識しても同じで、例えば自分の掌をじっと見つめていると、掌の感覚がはっきりとしてきます。

空気に触れている感じとか、筋肉が動く感じとか。

手が温かく、赤くなってくることもあります。

 

体の他の部分に手を触れれば尚更で、手が当たっている感触を丁寧に意識していると、その場所が温かくなってきます。

例えばお腹に手を乗せているとしたら、お腹の表面だけでなく、内側まで温かくなってきます。

そして乗せている手も温かくなってきて、次第に手とお腹の境目がわからなくなってきます。

これもイメージではなく、リアルな体感覚としてそう感じられるのです。

 

そしてお腹の内側がゴロゴロと音を立てて動き出したりすることも、全く珍しいことではありません。

 

このように肉体レベルにまで変化を起こすわけですから、手を当てるだけで傷や内臓の疲れが癒えるということは、決して不思議なことではありません。

 

むしろ、どんなテクニックよりも一番大事なことである、と言えるでしょう。

しかしそれには、心を静めて、集注しつつも肩の力が抜けていることが大切です。

 

同じように、体操などをする時にも、その時の体感覚をしっかり味わうことが一番大切です。

ポーズを上手決めること、難しい姿勢が出来ることに気を取られていては、新体操やダンスのショーと同じです。

新体操やダンスがいけないわけではないですが、目的が違います。

 

動き始めから動きの終わりまで、力の集まっている場所や伸びている場所は徐々に移動します。

それを、意識を途切れさせずに追いかけ、感じていくこと。

呼吸法でも、特に脊椎行気法の場合は、今どこまで息が入ってきているかを感じながら行うこと、これらが体感覚を敏感にし、効果を挙げる秘訣です。

 

もちろんこれらは他者への手当てにも活きてきます。

意識の向けられていない手当てはほとんど意味がありません。

どんなに高度なテクニックや知識を持っていても、その自分のテクニックや知識にばかり気を取られていたのでは相手に響きません。

むしろしっかり意識が相手に注がれていれば、技術などなくても不思議と通じるものがあります。

それが整体法でいう、「愉気」の基本だと思います。

 

 

愉気法(手当て)の方法については、DVD講座をご利用ください

タイトルとURLをコピーしました