別のページで精神統一や瞑想について書きましたが、では精神の「集中」というのはどういうものなのでしょうか?
よく、「集中力を高める訓練」とかいうのがありますよね。
私もいろいろ試した経験があります。
速読・速聴系のものとか、それこそ瞑想系のものとか。
その成果は・・・まぁ、前よりは少しは集中力がついたのかも知れませんが、中にはやればやるほど集中力が散漫になってしまうようなものもあったかと思います。
で、結局何が一番集中力を高めるのかという話なんですが、簡単に、そして現実的に考えてみたいと思います。
これは当たり前のことなんですが、最も集中力が高まり、そして持続することっていうのは、好きなことにトコトン没頭すること、これが一番なんだと思うんです。
これ以上のものはない、と。
そして本来これは、幼いうちに行われるべきことなんだと思います。
というよりも、幼い子供というのは、大人から見ればどうでもいいようなこと、意味のないようなことに興味を持つでしょう??
そして何度でも、同じことを飽きずに繰り返しているでしょう?
つい大人は、「同じことばかり続けてないで、いろんなことを満遍なくやりなさい」なんて言いたくなってしまいます。
場合によっては、「そんなことばかりやっていないで、もっと役に立つことをやりなさい」とか、「そんなことに注ぐエネルギーを、勉強のほうに向けなさい」とか。
でも、自発的に興味を持ったことだからこそ、沸々と集中力が湧いて出るのです。
それを無理矢理別のものに置き換えられてしまったら、湧き出た集中力に冷水を浴びせかけるようなものなんです。
やがて冷えきった集中力は凍り付き、もう何事に対しても湧かなくなってしまいます。
その結果、「無関心」「無感動」と言われるような人間になってしまう。
「自分で自分のやりたいことがわからない」とか、「自分で自分のことを決断できない」というような人も同じです。
「人生に何の楽しみを見つけ出せない」なんていう人もそう。 自らわき起こる興味と集中力を、大人の都合や価値観によって凍らされてしまった人達です。
大人になってからその凍った興味と集中力を解凍するのは決して簡単ではありません。
分厚い氷の表面を何度も何度も叩いて、少しずつひび割れをつくり、そこから少しずつまた広げていく・・・そんな作業が必要です。
これは、「自分に対する自信」というものと同じだと思うんです。
自分が興味を持ったことを、とことん追求することができる・・・ これはつまり、自分の内側から湧いて来た欲求というものに対しての自信です。
自分の感受性に対する自信です。
逆に、興味を持ったことに対して「そんなくだらないもの・・・!」と言われて続けた人は、自分の欲求というのはくだらないんだ、と思いながら育つわけです。
自分の感受性は間違っているんだ、自分が考えることはくだらないんだ、と。
そんな人に、自信を持てとか、しっかりと自分の考えを持った大人になれと言っても無理でしょう?
まぁとにかく、本当の集中力を付けたいと思ったら、とことん好きなことを極めていくことに尽きると思います。
それが、何の役にも立つか、どんなメリットがあるか、なんて考えない。
体や心に害があること、生活を破綻させるようなことはもちろん別ですが、結果など考えずにやってみることだと思います。
仮に、仕事のために集中力を高めたい人でも、仕事以外のことに強い興味が湧いたならば、そのことを(たとえ短時間でも)徹底してやってみるといいと思います。
それが結果的に、仕事の場においても有効な集中力を養うことになっているはずです。
余談ですが、私にとって最も有効だった集中力の訓練は、瞑想でも速読でも呼吸法でもなく、ギターの練習でした(笑)
多分、これをやってなかったら、私は整体を身につけることもできなかっただろう、とまで思っています。
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