私が10代の前半から半ばにかけての頃、10代の少年の心とテーマにした歌が随分と流行っていました。
代表的なのは尾崎豊でしょうか。
彼が人気者になった影響もあってか、大人社会に反発するかのような内容の歌を歌う人が一気に増えたような時期だったと思います。
好き嫌いはありましたが、私もそのなかのいくつかに夢中になっていました。
やはりそういう年頃でもあったし、共感するものがあったのです。
今振り返ってみると、ただ共感しただけでなく、「驚き」のようなものもあったと思うんです。
大人への不満や不信、そして不安・・・
そういったものを、素直に言葉にして表現することに対しての驚きというか、新鮮さというか。
自分自身にもそういう不満や不安はあったはずなんですが、自分の中にあるそれらを、それまではずっと押さえつけていて、口に出すことなんてなかったのです。
というより、自分で気づいてさえいなかったのかも知れません。
ところが、当時の歌手達はそれを堂々と歌詞にして、叫ぶように歌っていたのです。
それを聞いて、「こんなこと、表現していいんだ」というか、「こういう気持ち、確かに自分の中にも存在するかも!」というような驚きを感じたように思います。
夢のない話をしてしまえば、現実には作詞家が書いていたり、プロデューサーが示したコンセプトに基づいて・・・つまり大人の意向が背景にあって書かれていたものも多かったりするという、複雑な大人社会の現実があるんですけどね・・・(汗)
でも当時の私にとっては、そんな裏の事情はどうでもいいことで、とにかくそれらの歌が、自分自身の心の内側を覗き込むきっかけになったような気がしているんです。
少年時代の私にとって、大人の社会というのは、決して近付きたくない、暗くて苦しいものなんだというふうに見えていました。
本当に、できることなら大人になりたくなかった。
大人になった自分というのが、全く想像できませんでしたし、想像したくもなかったのでしょう。
だから「将来の夢」なんていうものは、おそらく本気で思い描けたことなどありません。
自分が大人になっている「将来」の中に、「夢」などという明るくて楽しそうなものなど存在するはずがないと思っていたのです。
それは、身近な大人達の姿を見て、無意識のうちにそう感じるようになっていたのでしょう。
たとえば、父はよく会社に対してとか、世の中の様々な事柄に対して不満を口にしていました。
母は心配性で、先々の不安ばかりしていました。
毎日のようにそんな様子を見ていた私が、この世の中は、不満と不安に満ちた暗黒の世界だ・・・というような思いを無意識のうちに育てるようになってしまうのも、当然の流れでしょう。
また、学校をちゃんと卒業して、出来るだけ安定した会社に入って安定した生活を送る、このことが一番「幸せ」な生き方なんだと教わってきました。
だけど、その暗黒の世界に「幸せ」なんていうものがあるなんて、とても思えるはずがありません。
親の教えに背いて、私は学校に行かなくなって退学をしたのですが、それも「大人の世界に近付きたくない」という無意識の欲求のせいだったのかも知れません。
とにかく、私にとって大人の世界というのは暗黒の世界で、極端な言い方をすれば、学校を卒業して社会に出て働くということは、まるで刑務所にでも入って強制労働を強いられるようなものに思えていたのです。
「大きな夢を持て」とか「大志を抱け」というような言葉を口にする大人も中にはいましたが、そんな言葉で簡単に覆るほど、私の大人社会に対する不信感は軽いものではありませんでした。
そもそも、「大きな夢を・・・」などという言葉自体が、口先だけの軽いものでしかない場合がほとんどだったのでしょう。
そう言っている大人達の姿を見て、希望を持てたことなんて無かったような気がします。
話は少し変わりますが、当塾には、小さなお子さんや赤ちゃんが連れてこられる場合も度々あります。
お子さん達が整体を受ける場合もありますが、受けるのはお母さんだけで、お子さんは待っているだけの場合も多いです。
そんな場合でも、私は必ずお子さんの表情や仕草をチェックします。
お子さんの様子を見ると、この子がどんな影響を親から受けているのか、何となくわかるのです。
その結果、親の体や心の癖を知るきっかけにもなります。
ある日連れて来られた赤ちゃんは、部屋に入ってから出るまでの間、約40分間もの間、ずっとニコニコ楽しそうに笑っているんです。
お母さんと目が合えばますます嬉しそうな表情になり、初対面の私と目が合っても、興味深そうに顔を覗き込むようにして笑いかけてきます。
首もすわってきた頃なので、あちこち見回して、何かを見つけては笑い、手足をばたつかせては楽しそうに過ごしていました。
普通、初めて連れてこられた子は、慣れない場所で、しかも長時間お母さんに抱っこしてもらえないでいると、泣き出すことも多いんですけどね。
そんなお子さんの様子を見て、私はその時ふと、
「生きているのが楽しそうだなぁ」
と思ったんです。
新しく体験するこの場所や人との関わりを、心底楽しんでいるように見えたんです。
少年時代の私のように、それらに不安を持つことなどなく。
おそらくその赤ちゃんは、無意識のうちに親から、この世は楽しいものだということを教わっていたのでしょう。
どうやって教えたのかなんて、ご両親も当然わかっていないと思います。
教えたつもりなんてないんだと思います。
だけど多分、自分たちの元に生まれて来たことを心から歓迎され、そしてその子を育てられることを心から喜んでいるんだと思うんです。
そして将来の姿も、楽しみにしているはずです。
そんな中で、その子は毎日、喜びに満ちている生活を送っているのです。
だからその子は目をキラキラと輝かせ、目に映るもの全てを興味深く見つめているのでしょう。
そういうお子さんが、いっぱいの世の中になれば、と思います。
だけどそれを実現するには、まず大人たちが、自分自身が、世を憂いてばかりいないで、もっと目を輝かせて、自分の人生を生きていかなければならないのだと思います。
そのためには、自分の願望、夢などを叶えていくことだと思います。
つまり自分の願望や夢、欲求を持つことは、決して利己的なことではなく、世の中のためでもある、ということです。