体に刻まれたストレス

体と心の話

「ストレス」というものは通常、心の中で感じるもの、または頭の中で感じるものと言われますが、その心の中で感じたストレスによって、胃が痛くなったり、血圧が高くなったりという、肉体的な変化が起こることは非常に多いものです。

 

痛みにまで表れなくても、辛いことがあった日にはなかなか食欲もわかない、または逆にやけ食いをしたくなる・・・というように、ストレスというのは「心の問題」とされながらも、実際にはハッキリと体にまで響いているものなのです。

 

 

逆に言えば、体に何の変化もないようなストレスなんていうものは、実は大したことではない、ということでもあります。

ただし、問題はその体への現れを自覚できるかどうか、という点です。

 

 

長年整体をしてきた中で、体をカチカチに緊張させ、肩にもいつも力が入っているのにもかかわらず、自分では全く緊張しているという自覚が無い、という人と実に多く出会ってきました。

中には自覚している人、それからもちろん、何らかの症状を訴えて来られる人も多いのですが、その自覚と実際の体の状態が全くかみ合っていないことも非常に多いです。

 

たとえば、本人は激しい腰痛を訴えていて、慢性的に腰が悪いのだと思っているけれど、実はその人の体は首や背中に緊張の発端がある・・・

そしてその首や背中の緊張というのは、明らかに心理的な緊張・ストレスから来ていることが窺える・・・というように。

 

慣れてくると、体の状態を見れば、それがストレスかどうかが分かるようになってきます。

といっても、大半の体の異常には、何らかの心理的な要因が関わっているものですが。

 

もちろん、具体的にどのようなストレスをその人が抱えているのか、細かいプライベートな部分まで判るわけではありません。

ただ、その体のどこに、どのような形で表れているかによって、何となくどんなストレスの傾向か、というようなことは予想することができる場合があります。

 

人の体というのは実に正直なものです。

その人自身がどう言おうが、どう説明しようが、頭で考える以上に体は繊細に感じ、表現しています。

だから本人が「私にはストレスなどありません」「毎日感謝、感謝の気持ちで幸せに過ごしています」なんて言っていたとしても、体のあるポイントを硬直させているようであれば、その言葉は信用に値しません。

もちろん本人は心から「ストレスがない」「毎日感謝」と思っているつもりだけど、自分でも心の表面しか見ていないのです。

その裏側には、とても重たいストレスや怒り、我慢などが潜んでいます。
そしてそれを一生懸命ポジティブな考え方で覆い隠して、自分でも見えないようにしているのです。

 

自分の本心に蓋をするのは、本来とても大変なことです。

蓋をして圧縮すればする程、反発も大きくなるのが心というものです。

それでもなお押さえようとする、そうするともっと強い力が必要になる。

だから知らず知らずのうちに、体のあちこちにもの凄い力が入ったままになっています。

 

そういう人には、「いろいろストレスもあるんでしょう?大変ですね」なんていう言葉をかけても全く響きません。

まるで他人事のように聞いています。

というよりも、何か的外れなことを言われているような感じで聞き流されるばかり。

 

自覚がないのだから当然といえば当然です。

だからそういう人には、まず体感覚によって、その体の強張りを自覚していただく必要があります。

だから整体では、そうしたポイントを見極め、そこを刺激していくのです。

 

鈍い人には痛みを与えることが必要な場合もあります。

特に「急所」とされるような箇所の痛みは独特のものがあって、ただ単に肉体の感覚として感じるだけでなく、まるで心の中にまで響くような、感情をゆさぶるような痛みなのです。

そういう刺激を繰り返しつつ、同時に体をうまくゆるめていくと、だんだん心の表面を覆うための力が抜けてきて、少しずつではありますが、自分自身の内面に意識が向くように変化していきます。

 

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