「疾病の利得」…聞き慣れない言葉だと思います。
誰だって「病気になって得をした」なんて思わないし、病気になんてなりたくないものですね。
ところが、人の心というのはとても複雑な多重構造をしています。
病気を治したい、病気になりたくない、と心で思っているつもりでも、「もう一つの自分の心」が病気を選択していることもあります。
また、体が病気を選択していることがあります。
風邪を自然に経過させることで、体の大掃除ができる、ということはご存知の人も多いはず。
これも一つの疾病利得です。
体内に毒素がたまって浄化が必要な時、体の歪みや疲労が溜まってきた時、体が風邪という疾病を選択し、大掃除という利得を得るというしくみです。
これは風邪に限りません。
実は多くの症状が、何らかの問題を解消する、或いは食い止めるために起こっているものです。
四十肩などの肩の痛みが、実は腰や背中の硬直を脳に至らせないために起こっていたり、子宮の血行不良をかばうために、足の血液の流れを少なくして冷えを起こしていたり。
さて、では「もう一つの自分の心」にとっての疾病利得とは何でしょうか?
簡単に言ってしまえば、ストレスによる病気のことです。
様々なストレスに心が耐えきれずに、病気として体を壊す方向に持っていくのです。
そうすることで逃げることもできるし、今までの自分の生活や人間関係、考え方などを見直すきっかけにもなります。
あまりにも負担の大きい生活を続けていると、どうしても行き詰まってきます。
しかし心の中では「頑張らなければ」と思います。
周りからも、「我慢できない奴は弱い人間だ」とプレッシャーをかけられます。
だから、なかなか今の生活を手放せない、なかなか踏ん切りがつかないものです。
いよいよ限界にきた時、「もう一つの自分の心」が一つの決断をします。
それは、手放せずにいる自分に対して、きっかけを与えることです。
その代表的なものが病気です。
このまま無理を続けられないように、強引に身動きを取れないようにしてしまうのです。
本当に自分が壊れてしまう前に、強攻策を取るのです。
こうして考えてみると、その症状だけに目を奪われて、そこだけを治してしまうことは、好ましくないのではないでしょうか?
また、どんな手を尽くしても治らない症状の背後には、こうした疾病利得のしくみが働いているとも考えられないでしょうか?
以前何度か書きましたが、人間には注意の要求という本能があります。
病気を通して自分の存在をアピールしたり、訴えきれない訴えを病気に転換する、これも疾病利得です。
ただ困ったことに、このような疾病利得には依存性があります。
苦手なことがある度に体調を崩したり、うまくいかないことがある度に病気や怪我、トラブルを起こしたり。
そうしたことをくり返していると、病気を、トラブルを手放すのが恐くなってしまいます。
常に言い訳の材料を持っていないと不安になってしまいます。
本当の自分に正直になれれば、病気もトラブルも減るのかもしれません。
でも、人は皆、そんなに強くない・・・だから少しの逃げ道があってこそ余裕を持って臨めるとは思うのですが、逃げ道ばかり求めるようになっては、人生そのものが実に色あせたものになってしまいます。