春は夢見る季節、夏は行動の季節、そして秋は『実りの秋』なんていうふうに言われています。
秋は春や夏の結果だ、今までの努力の結果が出るのが秋、というような考え方もあります。
実際の季節の話ではなくても、たとえば人の一生を季節に例えるような考え方もあります。
「青春」と呼ばれる少年時代が春、がむしゃらに突っ走る青年の頃が夏。
中高年の頃が秋で、その頃になると、若い頃の努力が報われる。
人生の「結果」が出るのは中高年になってからだ、というような…。
でも、これは少しだけ違うと、私は思っているのです。
何が違うのかというと、秋になっても、たとえば中高年になっても、時には若い頃のがむしゃらな行動とか、勢いが必要な時はあるということ。
そして逆に、若い頃にあまり突っ走れなかった、頑張れないまま秋の時代を迎えたとしても、決して遅くはないということです。
なぜなら、私達には『今』という時間しかないからです。
『今』以外を体験することができないからです。
そして、これから作っていけるものがあるとしたら、それは『未来』です。
過去は、決して操作することができません。
だからあまり過去のことを持ち出しても、参考にならないのです。
では秋の時代に、実りを得るために必要なことは何なのでしょう?
一言でいうと、「もう一歩、踏み出す」ということです。
夏の時代に突っ走ってきた人は、散々走って来たのだから、じゅうぶん「前進」をしてきたと思っているかもしれません。
しかし、それではまだ足りないのです。
足りないから、まだ実りを得られていないのです。
もう既に実りを得られるだけの資格が備わっていたとしても、実りそのものを得るためには、もう一歩だけ踏み出さないといけないのです。
オリンピックの100メートル走の、ゴール直前を思い浮かべて下さい。
オリンピック決勝に出る選手なんて、みんな実力は僅差のはずです。
全員が勝てる資格を持っているといっていいでしょう。
全員が今まで同じように努力し、誰がメダルを取ってもおかしくないレベルのはずです。
だけど最後の最後に、もう一つ胸を突き出して、最初にゴールラインに体が触れた人が勝つのです。
その最後の「突き出し」が大事なんですね。
オリンピックの例はまぁ極端だとしても、そういうことです。
じゅうぶんやってきたから、もういいだろう、なんてことはないのです。
「もう一歩」が必要なんです。
何か今までにはやっていないこと、ちょっと勇気のいること、ちょっとだけ「無理かもしれない」と思えること、その一歩を踏み出せるかどうかで、結果が全く違ってきます。
その違いは、「一歩の差」どころではありません。
もう一歩進んで行けば、出口のドアに手が届いていたのに・・・という位の大きな違いなのです。
出口の外には、新しい広大な世界が広がっていたのに・・・。
春・夏の時代に、充分な行動をしてこなかった人ならば、尚更です。
動かなかったために鈍ってしまった心身を動かすためには、まず最初の「一歩」が必要です。
その一歩は、とても重たいことでしょう。
勇気がいるし、「無理かもしれない」と思えることでしょう。
しかし、その一歩で自分が石になるか、豊かな花と実を生み出す存在になるかの大きな分かれ道です。
「実り」は自然にやってくるものではありません。
自ら一歩踏み出して、つかみに行くものです。