最近では少なくなりましたが、私も以前はよく様々な講習会に出かけて行きました。
もちろんその際は筆記用具持参です。
しかし、私のノートは空白だらけです。
もしかすると不真面目なだけなのかもしれません。
だけど、私はあまりノートを取るのが好きではないんです。
もっと昔はそうでもなくて、けっこう必死にノートをとっていたタイプです。
それは、講座や研修会などで習ったことを忘れてしまうことが「恐かった」からです。
そして、せっかく講師が自分の知らないことを教えてくれているのに、それを聞き漏らすことに「怯えて」いたのだと思います。
「勿体ない」という思いもあったし、教えられていることを知らないでいる自分が、まるで取り残されているようで恐かった、というのもあったと思います。
昔は録音もよくしました。
まだヴォイスレコーダーが出回っていない時期は、大量のカセットテープを持参して講座に通っていたものです。
だけど、そういうことは、だんだんやめていきました。
ノートには、気になったキーワードや図だけを断片的に書く程度。
あとはひたすら聞く、あるいは実習に集中する・・・
本当は、このほうが身に付きやすいのだと、今では確信しています。
ノートを取るということは、目の前で起こっている出来事を、一旦「言葉」という制約の多いものに落とし込む作業です。
つまり言葉の枠に閉じ込めるもの。
データを軽くするようなものと言っていいでしょう。
ところが、講座で学ぶことというのは、実はその言葉で収めきれないところにあるもののほうが重要だったりする。
それが実習の少ない講話中心のものであったとしても、です。
書いている間に、実は見落としているものが多いのです。
私も、講座をおこなっている最中、疑問に思うことが時々あります。
書くことに夢中で実技を見ていない人、話を聞いていない人・・・
生の講座というのは、本で読むことの何十倍、何百倍もの情報量がある場合がほとんどです。
情報量というのは、話した内容という意味じゃないですよ。
たとえ話している内容が本に書いてあることと同じだったとしても、自宅で文章を読む時よりも何倍もの強さで頭の中、心の中に入り込む、それが良い講座というものだと思います。
それを、まるで家に帰ってから読むための文章をまとめるために、講座の最中にメモをとりまくる・・・これは実に効率の悪い作業なんですね。
お勧めなのは、本当に気になったキーワードだけをメモして、あとは終わってからその断片的なメモを見ながら思い出す作業をする、ということです。
潜在意識は、聞いたこと、見たことを基本的に全部覚えているといいます。
それをいかに「引き出すか」がポイントなんですが、そのきっかけとなるキーワードやイメージ図だけを、ノートに瞬間的に書いていくのです。
もちろん、講座の中には、ちゃんとノートに記録しておいたほうがいい資料的なものも出てくることがありますから、それはそれで、書いておいたほうがいいでしょう。
それは講師がそのようにアナウンスするべきだと私は考えます。
もう一つ、あまり記録をお勧めしない理由は、これもやはり潜在意識的な理由なんですが、詳しくメモをとった、あるいは録音したという前提での受講になりますから、生で覚えよう、体で感じようという必要性が薄れるのです。
意識の上ではそんなつもりがなくても、無意識のうちににそうなっています。
そして、潜在意識は、その講座の受講目的を「ノートを取ること」「録音をしっかりすること」に変更してしまうのです。
さらに、そのノートや録音がしっかり出来た時点で、潜在意識は「目的は達成した」と判断してしまうのです。
だからそのノートを読んで勉強することや、録音した音声を聞いて復習することには、あまり本気を出さなくなります。
強いて言うなら、ノートを取るという勉強法は、受験勉強的な、テストに合格するための勉強法に向いているのかもしれません。
教科書に蛍光ペンでラインを引いたり、付箋を貼ったりなんていうのもそうでしょう。
「テストに出る部分」を認識するために印をつける。
そしてとにかくその部分を暗記しておけば、テストではいい点数が取れるでしょう。
でも、テストが終わった途端に忘れている・・・。
自分が本来学びたいはずのことに、そのような勉強法をそのまま用いるのは大変勿体ないことです。
ただ資格を取って、それで自分が安心したいだけなら、まぁそれもいいでしょう。
人に褒められるため、自分を納得させるために、「私は一生懸命勉強している」と言い聞かせるために、完璧なノートを作りたいだけならそれもいいでしょう。
もちろん、自分がやりたいことの為に、どうしても資格が必要で、試験をクリアしなければいけないのならば、そういう勉強も大事かとは思います。
だけど、本当に身につけて、そして実際に役立てていきたいというのならば、そういう勉強法はあまり向いていないと思います。
仮に、忘れてしまうことがあっても、そのデータは消去されてしまった訳ではありません。
そしてその忘れてしまったデータが見つかる時というのは、実は「わからない、こういう時はどうしたらいいんだろう?」といった、壁にぶつかった時なのです。
だから、「わからない」ということもとても大事なのです。
かつての私のように、「講座に出たのに、わからないことがあってはいけない」などという恐怖心を払拭すべく、必死にノートを取り、それで分かったつもりになっているようでは、いつまでも本当のことはわからないのです。
当塾の講座に参加される方も、もちろんそれぞれにノートを取って頂いて結構ですが、一番大事なのはその目で、耳で、体で感じたことだということはお忘れにならないで頂きたいと思います。
もちろん、その場で分からなかったことも、将来への大事な宿題として持ち帰って頂きたいと思います。
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