「体と心」、「病気と心」のつながりについての話をしていると、時々強い反発を受けることがあります。
その反発の大半は、「私は体の病気なのであって、心に問題があるわけではない」というものです。
「病気というのは気の持ちようだ」とか、「心が弱いから病気が治らないんだ」と言われているようで不愉快だ、と怒り出すのです。
ところが、私はそういう意味で心と体の話をしているのではないのです。
なのにムキになって反発する人がいるのですが、それは実は、その人自身の中に「病気=気の持ちよう」という考え方が潜んでいるからなのです。
だから「体と心」という言葉に反応して、自分自身の中にある「気の持ちよう」という概念が連想されて、一生懸命反論してくるのです。
私が言う「心」というのは、表に出にくい心、深層心理とか、潜在意識とか呼ばれる心の領域のことです。
つまり、普段自分ではコントロールできない心の領域のことです。
ですから、気の持ちようで変えられる範囲のことではないし、強いとか弱いとかいう問題でもありません。
何度も言っていることですが、『心』というのは複雑な多柔構造になっていて、自分でも気付くことのできない感情や欲求、意志が、心の深い部分で生きていたりするのです。
たとえば、好きで頑張っているつもりの仕事が、実は周りに気に入られたいがためにやっているに過ぎなかった、というようなことがあります。
しかし「周りに気に入られたくて」などという思いは、なかなか自分自身でも認められるものではありません。
だから自分で自分に「好きでやっているんだ」と言い聞かせて、過酷な業務スケジュールや厳しい上司の態度にもめげずに頑張ってきた…。
そして自分でも、本当の心は見えなくなってしまっている、というような状態なんです。
だけど、本当の心が消えてしまうようなことはありません。
だからいつの間にか、本当の心との『ズレ』が生じます。
体がつながっている心というのは、特にその深層心理の部分です。
だから心の表面では「好きな仕事を頑張っている」と思っていても、妙に疲れてしまったり、やる気が出なかったりすることがあります。
そしてその『ズレ』が大きくなれば、病気という選択肢を取ることもあるのです。
実際にはこのような単純な例ばかりではありませんが、これが「ストレス」による病気の正体です。
自分自身のことなのに、このような深層心理に気付くことは、日常の生活の中ではなかなか難しいものです。
でもだからこそ、病気などの非日常的な状態においては、気付くチャンスがあるのです。
というよりも、『ズレ』が大きくなり、それに気付く必要があるレベルに達した時に、体は病気を選択することがあるのです。
それでも、病気と心、ましてや病気と人生を結び付けて考えることに抵抗がある人は多いでしょう。
そういう方が、普通に医学的・生理学的な処置を受けるのは最もなことだと思います。
ですが、それでも改善しないで悩んでいるのならば、今まで目を向けたことのなかった『心と体』の世界に、新たに目を向けてみるタイミングに来ている、というふうに考えてみるのもいいのではないでしょうか。