「気」と整体法

体と心の話

当塾の技術や理念の源流にもなっている整体法(野口整体)には「愉気」という基本的な概念があります。

 

解釈は様々だと思うんですが、表面上は「手当て」などとも言われるように、手を相手の体に当てるだけのもの、と思われている方も多いかと思います。

そして「気」でもって相手の体を良くするのだとか、そういう気功療法的なものと思っている方も多いでしょう。
(「気功」というのも実際はそういうものではないと言えますし、それ以前に、「気功」に対しても無数の解釈があります。)

 

しかし当塾の考えかたはそういうものではなくて、もっとそれ以前の、人と人が影響しあっているもの、うまく言葉では表現できませんが、そういう関係性のポジティブな構築法が、「愉気」というものだと思っています。

 

こういう言い方をすると怪しまれる危険性もありますし、何か根拠のない、オカルト的なものに思われてしまうかもしれません。

まぁ、怪しまれることぐらいどうってことはないんですが、それよりも、「目に見えないパワー」とか、「神秘的な力」とか、そういうものに依存する人達に群がられることは絶対に避けたいと思っています。

 

見えないパワーに依存するということは、要するに自分を失くすこと、だと思うのです。

自分では操ることのできないものに身を委ねる、ということです。

つまり自分でハンドルを手放している、ということです。

盲目的になっている、ということです。

 

もちろん、人と人の関係というものは、目に見え、理論的に解釈できるような機械的なものではありません。

しかしその「見えない」と思っているものでも、実は「知らない」「知識がない」だけであって、学んでみると現実的によく分かることが沢山あるのです。

大事なことは、目に見えないことを盲目的に信じたり、ましてやそれを信じている自分に自惚れることではなくて、見える事、解ることを増やしていくことだと思うのです。

 

そうして増やしていくと、こんどは逆に昔から盲目的に信じられていた宗教的概念とか、風習とか、スピリチュアル的なことの中に、全く持って根拠のない、ただの迷信であったり、一部の人間の都合で作られた嘘がたくさん含まれていることが見えてきます。

 

たとえば、目に見えないものの中で代表的なものに「波長」という概念があります。

「あの人とは波長が合わない」なんていう表現をする人が最近多いように思います。

「波長」なんてものは目に見えませんし、本当はどういう意味なのかをよく解らずに使っている人のほうが多いでしょう。

 

しかし例えば、「体癖」という理論を学び、感性が違う人同士が生まれつき存在するということを理解すると、その「波長が合わない」と感じる理由が理論的に解ってくるようになります。

 

「気」という概念についても同じようなことです。

色々な解釈の仕方がありますので、「これが正解だ」と決めつけることはできませんが、決してそれは「宇宙のエネルギー」とか「スピリチュアルなパワー」といった抽象的なものではなくて、人間対人間の感受性における関係性だということもできます。

少々難しい話になりましたが、「気」とか「愉気」ということについて尋ねられることも多いので、改めて言葉にしてみました。

 

「愉気法」の実践的な解説については、DVD「家庭でできる手当て」にて説明していますので、そちらをご参照ください。

 

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