こういう仕事をしていますと、私のことを
「すごく優しい人なんだろう」
「すごくいい人なんだろう」
「人を嫌ったり、腹を立てたりすることはないんだろう」
「どんな話でも、優しくうなずきながら聞いてくれるに違いない」
・・・というような先入観を持って来られる人も度々おられるようなので、改めて断っておきますが、残念ながら全部ハズレです(汗)
当たり前のことですが、私も人の子、ただの凡人です。
腹を立てることもあれば、嫌いな人もいます。
人を嫌ってはいけないとか、怒ってはいけないとかいう考え方もあるけれど、やっぱり生きていれば、嫌ったり怒ったりはありますよ。
嫌うほうも、嫌われるほうも気持ちいいものではないけれど、何でも気持ちいいばかりが人生じゃないでしょう。
でも私も大人ですから、嫌いな人と会わなきゃいけない時、付き合わなきゃいけない時もあるわけです。
できるだけ嫌いな人とは会わないようにしてはいますが、避けられない事情も度々あるのが大人の世界。
で、そんな時はどうするか・・・
ちなみに、これは「私の場合はこう考えています」という話であって、決して皆さんにお勧めしたいわけでも、「これが正解だ」なんて言いたいわけでもないですよ。
嫌いな人と会うとき、私はいつもこう思うんです。
「今日は嫌いな人と会うんだ、いやだけど、仕方ないか、我慢して頑張ろう」・・・
って、そのまんまですよね。
ポジティブ思考が好きな人は、こう考えるかもしれません。
「あの人も本当はいい人かも知れないし・・・」。
もっとポジティブな人は、
「今日はあの人の知られざる良い面を発見できるかもしれない、チャンスだ!」
だけど私は、そんな嘘を自分につくのが嫌なんです。
だから自分に正直に、
「嫌だなぁ、会いたくないけど、これが大人の事情ってやつだ・・・」
と素直に思って腹をくくるんです。
もちろん、相手に対して露骨に嫌な顔を見せたりはしません。
一応大人ですから、穏便に済ませますよ、そこは。
でもその人との用事が終わってからは、
「やっと終わって、ほっとした・・・」と素直に力を抜きます。
場合によっては、
「やっぱり、嫌な人だったなぁ・・・」などと思いながら(笑)、一っ風呂浴びて、気分次第ではちょっとだけお酒を飲んだりもして、疲れを癒すのです。
「優しい嘘」っていうのがありますよね。
あれは、他人に対しては通用すると思うし、本当に嘘が大事な時もあると私は思うんですよ。
だけど、絶対に自分には通用しません。
自分への嘘は、ただの嘘です。
だから素直に、嫌いな人や嫌いなものを嫌いだと認めてしまうんです、私は。
その上で、仕方ないから、じゃぁ、その嫌いな人とできるだけ穏便に過ごすために、演技をするんです。
相手に対しては、別に嫌いじゃない「フリ」をしますが、自分はそれを芝居だとわかった上でやるわけです。
よく、「嫌いな人と会う時の自己暗示テクニック」っていうものがあるでしょう?
たとえば、「嫌いな人と話す時に、自分の好きな別の人と話しているつもりで話す」とか、「相手の顔にチョビひげを生やして、鼻毛が出ているところをイメージして話す」とか・・・。
そういうテクニックで、本当に嫌いでなくなるわけではないと私は思うんです。
嫌いな人と過ごさなければいけない時に、言葉は悪いですが、その場しのぎに使うテクニックです。
嫌いだと認識した上で使えば、非常に効果的だと思います。
・・・こんなことを書くと、ただでさえ少ない友達が減ったり、仕事が減ったりしそうで恐いんですが、それでも、奇麗ごとはいいたくありません。
実際、人間関係で悩んでいる人の様子をうかがってみると、嫌いだったり苦手だったりする人や物事を、一生懸命嫌いじゃないフリをして、自分を誤魔化している人が多いのです。
嫌ったり、恨んだり、怒ったりすることへの自己嫌悪が強すぎるのでしょうか、それともそれを「自分の弱さ」だと決めつけてしまうのでしょうか。
人が一番つらいのは、本当の自分を誤魔化すことだと思うんです。
嫌いな人と会うことのストレスよりも、自分を押し殺すことのストレスが、本当はダメージが大きいと思うのです。
だけど自分を誤魔化して隠しているものだから、そういうストレスが自分では見えないだけ。
「嫌いな人との人間関係でストレスを感じている」と勘違いしている人も多いのです。
人を嫌うことは、まぁ、無いのに超した事はないかとは思うんですが、現実には難しいでしょう?
私には無理です、私が小さいだけかも知れませんが。
人を嫌ったり、怒ったりするその心は、そんなにいけないことなんでしょうか?
そういう感情が争いを生むのでしょうか?
戦争を起こすような人達の根底にあるものと、同じレベルなんでしょうか?
私は違うような気がするんです。
たとえば私の大嫌いな人が、目の前で車にはねられたとしたら、間違いなく必死で助けると思うんですよ。
そして無事助かったら、「良かった」って、心から思うはずです。
そういう心があるうちは、大丈夫なんじゃないでしょうかね?