当塾でやっているような整体のスタイルとか、あるいはセラピーの世界などでは、「感性」が大事だと言われています。
「ヒーリング」と呼ばれているような世界でもその傾向がかなり強いでしょう。
では、その感性というのはどうやって磨かれるのでしょうか?
自然に触れること、良い書物や映画、音楽・芸術などに親しむこと・・・
いろんなことが考えられますが、一番大事なのはそこではない、と私は確信しています。
一番大事なことは、それぞれの『技術』をしっかり身につけ、磨くこと。
これに尽きると思っているのです。
普通は、「感性が大事」という考え方は、「技術が大事」という考え方の反対側にあるように捉えられているのではないでしょうか?
『技術よりも感性、技術だけではダメ』みたいに。
また、「感性が大事」というのは「心が大事」「テクニックよりも真心」みたいな考え方に近いような気もします。
だけど違うんです。
私は、本物の感性というのは、技術を通った向こう側にしか現れないし、磨かれない、発揮できないと思っています。
「心」というような実体の見えないものならば、尚更です。
技術がない人がいう「大事なのは心だよ」「技術よりも感性だよ」という言葉の、なんと浅はかなことか。
それはたとえば、音痴でリズム感もない人が「音楽は心です」と言っているようなものです。
仮に心がこもっていたとしても、そんな人の歌は聞くに堪えないわけです。
ところが同じように、「困っている人を何とかしてあげたい」という「思い」だけで、セラピーのまねごとをしている人も多いようなのです。
そしてそのセラピーは当然うまくいかず、クライアントをかえって苦しめているなんていうこともある。
「何とかしてあげたい」と思うのは勝手だけど、じゃぁ何とかしてあげられるのか、実際に・・・という話なんです。
「苦しい人の気持ちがわかる」という感性はすばらしいなものかもしれないけれど、その苦しい人達と一緒に苦しむことは、決して「セラピー」「指導」にはなり得ません。
人の役に立つ、人のサポートをするということは、技術がいるのです。
どんな世界でもそうでしょう。
自分の満足のためにするのではなく、人の役に立つということは、そういうことです。
「心配でたまらないから、何とかしてあげたい」
・・・・そういう心というのは、本当は相手のためなんでしょうか?
心配でたまらない自分の心を、落ち着かせたいだけじゃないのでしょうか?
そんなことのために、苦しんでいる相手を巻き込んではいけません。
ちょっと話がそれましたが、ともかく感性というものは、技術を磨いているうちに、自然に開かれていくものです。
音楽が感性を豊かにするというのも、それは音楽に徹底的に向き合って、他の人には聞こえないような音質とか、微妙なリズムの変化とか、そういうものを聞き分ける耳が育ってこそ、です。
たとえば整体の技術なら、指を通して相手の背骨、筋肉の変化を読み取る感覚とか、表情や声の違いを感じ取られるような観察力を身につけてこそ、です。
繰り返しますが、それらは「技術」です。
その技術を身につけないと見えないもの、というのがあります。
それが見えるようになることを、「感性が開かれる」というのです。
だからそれには、学習と鍛錬を繰り返さなければならないのです。
とにかくどんな世界でも、やはり何か特定の分野で、集中的に、現実的に技術を磨いていかないと、その感性というのは開かれないのです。
中には「感情」と「感性」をごちゃまぜにしているような人もいます。
映画を見て感動しやすい、人の話に共感しやすい、音楽に引き込まれやすい・・・
それは感性が豊かなのではなくて、感情が豊かなのです。
逆に言えば感情に左右されやすい可能性もある。
そういう「感情」では、決して人を指導することはできません。
感情は自分のものですから、その自分の感情でもって相手を引きずり回してはいけないのです。
そういうものを勘違いして、「私は感性が豊かである」などと思わないでいただきたい。
そういう人の中には、難しい技術や知識を学ぶ段階でリタイアしていく人も多いです。
「私には合わない」というのです。
「技術よりも、感性でやっていくタイプだから」などという人もいます。
そういう人はいつまでたっても技術と基本的な理論が身に付かず、ことあるごとに「感性」に逃げてしまうのです。
いささか厳しいことを書きましたが、これは私が自分自身に課している課題でもあり、指導を行う上で、じゅうぶん気をつけなければならないことだと思います。
こういう分野のことを学びに来られる方の中に、時折見られる勘違いだとも思いますので、あえて指摘させていただきました。