取り入れる情報と心配・期待のバランス

体と心全般

咳というのは、緊張すると出るものです。

緊張を和らげようとして出ます。

コンサートや演劇などで静かなシーンが続いたあと、拍手のタイミングで同時に咳をする人がいるでしょう?

「物音を立てちゃいけない、咳をしてはいけない」と思えば思うほど、普段出ない咳でも出そうになってしまうものです。

 

咳をしただけで睨まれた、電車の中で怒鳴られた、会社から帰れと言われた、などというニュースが聞かれますが、なんとも悲しい世の中ですね。

 

近頃のウィルスの問題、身体面からの分析だけではなく、心理面から考えなければいけない段階にきていると思います。

そもそも報道というものは、よりインパクトのある伝え方をするものです。

特にテレビはそうですし、新聞などの活字媒体でも、目を引くような記事の見出しがつけられています。

決してそういった情報を鵜呑みにしていいものではありません。

 

 

一つ例をあげましょう。

最近では、とある「ライブハウス」に集まった人の中で感染が起こったということが取り上げられています。

人は知らないものに恐怖心を覚えるものですが、「ライブハウス」というあまり一般的には馴染みのないものを採り上げることは、人々を恐怖心によって強く惹きつける効果があります。

報道する側にとっては、とても使い勝手のいい題材です。

 

もちろん、現実にそこで感染が起きてしまった事実は大変なことなんですが、ただ注意しなければいけないのは、たまたまそれがそのライブハウスという場所だった、ということです。

実際には、全国のあちこちのライブハウスで感染が広まった、などという事実はありません。

 

「若者がライブハウスなどに出かけることで感染が広がる」みたいな言い方もされているそうですが、その時感染していた人は「若者」と呼べる年齢の人ではなかったこと、一般的にライブハウスは、よくある飲食店などよりも人の出入りが少ない場所である、というようなことなども、調べてみるとすぐわかります。

 

 

このように咳をめぐるトラブルが起こったり、ライブハウスのように特定の業種などが責められたりする、こういう行動パターンに出る人の特徴は、とにかく犯人探し・悪者探しをする傾向のある人、です。

 

と同時に、不幸、失敗を常にイメージしてしまう癖のある人、最悪の事態にばかり意識がいく人です。

常にそういう意識が根底にある人は、実際の何倍もの悪い状況をイメージし、そして結果的にそのような現実を引き寄せてしまいます。

「咳をしてはいけない、咳をしては周りの人に迷惑だ」とイメージするあまり、咳をしたくなってしまう、というような現象と同じです。

 

もちろん、できる対策、調査はしておかなければならないし、心配すること自体が悪いことではありません。

しかし、最悪の心配しかしない、という状態がよくなくて、マイナスの情報、恐怖を煽るような情報ばかりを取り込むことは、極端にバランスを欠いた状態です。

 

たとえばかつて猛威をふるった新型インフルエンザ.SARS等を、今も毎日心配して過ごしている人は、さほど多くはないでしょう?

同じように、今回の新型肺炎もいずれ終息し、マスクをすることなど忘れている日がやってくる・・・

 

こんなことを言うことさえ「危機感が足りない」と批判されがちな昨今ですが、そういう日のことをイメージすることは決して批判されるべきでないはずです。

心配と同じぐらい、もしくはそれ以上に、そのことをしっかりとイメージし、期待することは、とても重要なことのように思います。

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