先日、「今時の学生」を子に持つお母さんとお話をしていて思ったのですが、当然のこととはいえ、我々の学生時代と、今時の学生とを比べても全く意味がないわけです。
今の学生に過ぎ去った昔の時代の経験をさせても、未来には生きてこない。
昔の理屈を当てはめたって的外れなんです。
環境が全く違うわけですから。
もちろん昔のことも、何かしら参考になることはあるかと思いますが、それは部分的なものであって、今の学生には今の時代の学生にしかできないことを精一杯やってもらうしかない、と思うんです。
これは健康法においても言えることで、今の人と昔の人とでは、生きてきた環境が全く違います。
だから出来上がってきた体も違います。
一世代違えば随分違いますから、親には当てはまった健康に関する知識も、子には当てはまらない、なんていうことはいくらでもあります。
これが孫の世代となれば尚更で、たとえば昔は体に良いからたくさん食べなさい、と言われていたものが、今では食べ過ぎるな、と言われていたりします。
そもそも今の日本は食べ物が多すぎて、食べ過ぎている人のほうが多いわけですから、いかに減らすかを考えたほうがいい場合が多いです。
昔は「いかに栄養を摂るか」が大事な時代でしたが、今は摂ることよりも排泄のほうに意識を向けるべき時代、といってもいいでしょう。
全く逆転しているのです。
ひどい例だと、一世代・二世代どころか、100年も200年も前のことを引き合いにだしている人もいます。
たとえば、「江戸時代に白米を食べるようになって『脚気』の人が増えた、やっぱり玄米がいいのだ」というような話があります。
でも現代人は米以外のものをたくさん食べて栄養分を取っていますから、そういう人は玄米でなくてもいいんです。
むしろ玄米を食べているせいで、自家中毒を起こしていると疑われる人も度々見かけます。
昔の健康法の本などには、夏はむしろ窓を閉めて、夜風で汗を冷やさないようにして寝たほうがいい、などと書かれてもいます。
しかし家の中に土間があったり、家の周囲に土や水がいっぱいあった昔の時代と、コンクリートに囲まれた現代の都会の住宅地とでは全く事情が違うのです。
心理指導という面でも、かなり環境が変わってきているはずです。
今の人は、誰もが多くの情報を得ることができて、多くの選択肢を一人一人が持っています。
そして、一人一人の「個」の際立ち方も、以前とは随分違うはずです。
そんな中、リーダー的な存在の人が何か言えば、スーッと心の中に入っていく・・・というような時代ではなくなってきています。
(中にはそういう人もまだまだいますが。)
しかしこういう体や心の世界というものは、どこか古いもの、古典のようなものが重宝される傾向も強いようです。
中には100年前どころか、古代人が残したとされる理論にこだわる人もいます。
それらも、もちろん何か参考になるところはあると思いますが、それよりも現代人の体や心を毎日丁寧に観察していたほうが、よほど得られるものが多いんじゃないか、と私は思うんです。
今ある問題のヒントが今の自分の中にしかないように、過去をほじくって悔やんでも何の解決策も出て来ないように、現代の、そして未来の人達のために出来ることは、今の人達の中にこそ答えがあるのだと思います。
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