当塾では「心の癖・体の癖」として、整体法における「体癖論」をベースにした理論を大変重要視しています。
「体癖」とは、簡単に言うと人間のタイプ分けです。
「上下型1種」「左右型3種」「捻れ型7種」「開閉型10種」というようないくつかのタイプがあります。
同じタイプの人同士だと、見た目が何となく似てるとか、性格が似てそうとか、喋り方が似てるとか、とにかく誰が見ても解る様な共通項があるのです。
しかし「○○型○種」とかいうと、堅苦しい感じ、何だか人に番号やグループ名をつけて区別しているかのようで、冷たい感じがするかも知れませんね。
文字通り「型」にはめるかのようで、自分がどの型に当てはまるかを考えるのは、気分がよくないことかもしれません。
だけど実は「型にはまること」自体は、そんなに苦しい事ではないんです。
それよりも、人は生まれつき持っている「型」とは違う育て方をされると、生きづらくて仕方ないのです。
逆にその「型」が自分に合った型ならば、ものすごく楽です。
それはまるで、自分の体にぴったりフィットする靴のようなものです。
そういう靴って、履いていることさえ忘れてしまいますよね。
ところが、合わない靴は、いつも気になってしかたありません。
靴を履くということは、こんなにも窮屈なものか…と常に感じながら日々を過ごしています。
さらに、それも度を過ぎると、靴が窮屈だ、という感覚もなくなってしまうのです。
そのかわり、いつも足は痛いし疲れる。
ピッタリ合う靴を履いている人よりも多く歩けないし、早くも歩けない。
「私って、いつも歩くのが遅いんだけど、運動神経が鈍いのかなぁ」
なんて思ってしまう。
それを直したくて骨盤の歪みを矯正したり、ウォーキング教室に通ってみたり努力するのだけど、それでもうまくいかない。
おまけに治療院で「あなたの骨盤は頑固ですねぇ」なんて嫌味を言われたり、ウォーキング教室では落ちこぼれてしまうかもしれません。
そんな苦労をして、ますます自信をなくす前に、自分に合う靴を探したほうが早いですよね。
同じように、自分が「生きづらい」と感じている人は、自分に合わない「型」で生きようとしている人、あるいは生きることを強いられてきた人です。
当塾にも、精神的なストレス…それこそ「生きづらさ」から体を壊して来られる人が多いですが、皆共通して自分と違う型で育って来た人、生きてきた人ばかりです。
そういう人は、
「人生っていうのは、苦労してなんぼ」とか、
「円滑な人間関係のためには、自分の本音を出さないこと」とか、
「仕事っていうのは楽しむものじゃない」とか、
「将来の幸せのためには辛いことも我慢しないと」・・・
といったような信念を持っている事が多いです。
つまり、自分が自分らしくいることに対して、強い嫌悪感を抱いている人です。
逆に、自分の「型」そのものでいられる人は、とても伸び伸びしています。
自分の感受性のままで生きられる、自分が「いい」と思ったものを素直に言葉に、形にできる。
当然、自分に自信を持つ事もできるし、自分が生きている事になんら抵抗を感じる事もないでしょう。
こうして考えてみると、自分に合う型・合わない型というのは、自分を育てた親次第だと思われるかもしれません。
たしかに、その始まりは親との相性の問題によるところがほとんどでしょう。
しかし、自分に合わない型というのも、結局は自分で取り外すしかないのです。
たとえそれが、元々は親にはめられた型であったとしても、その違う型を演じている「もう一人の自分」が、自分の中で育っていってしまっているからです。
そのもう一人の自分が、「人生っていうのは、苦労してなんぼ」・・・といったことを自分に言い聞かせているのです。
(幼い子供の場合は事情が異なり、親の影響を直接受けていますから、親がこの「型」の違いに気づけば回避可能です。)
とにかく大人の場合は、自分でその型に気づき、そして本来の自分の型に気づき、軌道修正していかなければなりません。
その「合わない靴」を長年履き続けた人は、既に自分の足に靴が食い込んでしまっているからです。
その靴を履いた状態での歩き方を、自分の普段の歩き方としてしまっているからです。
自分本来の型を知り、そして少しずつその型に沿うように歩き方を変えていくことで、ようやく自分を取り戻すことが出来ます。
そして将来的には、ちょっとの間なら、少々合わなくても、いろんな靴を履きこなす余裕も出てくるでしょう。
そんな自分らしさの発見のための、重要な第一歩として、この「心の癖・体の癖」というものを知って頂ければと強く思う次第です。
これらの「型」について詳しく知りたい方はテキスト・CD、または講座DVDを参考にしてください。
その上で、直接お越しの際には、ご自身のタイプ診断もさせて頂きます。