私がこういう世界に入ったのは、体のことよりも、人間の「心」への興味がきっかけでした。
「体調不良がきっかけで…」というような言い方をしていることもありますが、その頃の体調不良も、心理的な問題が背景にあってのことなんです。
その体調不良で通っていた治療院とか、読んでいた本などで「心と体のつながり」ということを何となく感じるようになり、そこから興味を持っていった、という流れです。
そういう経緯ですから、一時期は体のことよりも、心のこととか、潜在意識とか、そのことばかりに目が向いていた時期もあります。
だけど、これは特に整体法(通称・野口整体)の影響があってのことですが、やはり人間の体というのは、その心の深い部分が正直に表れているもので、そのことを、理屈ではなく、実際に人の体を見て、話を聞いて…ということを繰り返す中で、確信するに至りました。
「心」といっても、それはとても複雑な多重構造をしています。
そして、まるで海のように広くて深くて、果てしないものです。
だから、自分が「こうだ」と思っているつもりのことでも、それは陸から見える水面のごく表面の部分でそう思っているにすぎない場合がほとんどなんです。
自分でも「こうだ」と思っているつもりでも、その奥では「そうではない」と思っている自分がいる、だけどその奥は自分でも見えない・・・
だから、自分で自分を騙したり、自分で自分に気づかない、なんていうことが当たり前のように起こっているわけです。
「自分のことは自分が一番分かっている」なんて言う人は多いけれど、それはほとんど嘘ですね。
分かっていない人こそ「分かっている」と意地を張ってガードする。
だけど、その深い海のような、自分でも分からない心の底のほうまで、どうやら体は表しているようなんです。
「海の底」というのは、海の水を抱え込んでいる「器」のようなものです。
考えてみれば、人間の心の器である体が、その心の底の状態を表しているのも当然なのかもしれません。
私は時々、いや、しょっちゅうかもしれませんが、「体」の伴わない、心理メソッドに批判的な態度を取ることがあります。
それは、心だけで心を変えるというのは、ともすると、その表面だけを塗り替えるだけに終わってしまうことが多いからです。
自分では「よし、頑張るぞ!」と思っているつもりでも、下腹や腰の力が抜けていたのでは、それは頭で「頑張らなきゃ」と思っているだけなんです。
「自分の夢に向かって、毎日頑張っています」と言っている人でも、体がそれに抵抗して、毎日頭が痛い、朝起きられない…というような人もいます。
それはその夢が本当に望んでいるものではなく、夢だと思い込んでいるだけのものだからかも知れません。
子供の頃は、その心の本当の姿と、体が強く結びついています。
結びつくというよりは、一体となっています。
海に例えると、子供はまだ浅い海なんですね。
底のほうも、水面のほうもあまり差がありません。
だから子供は、その心がすぐに態度に、そして体調にも表れるわけです。
こう言われるとお母さん達は反感を持つかもしれませんが、子供の病気の大半が心理的な要因によるものだというのは、そのためです。
本当は、大人だって一体化しているはずなんです。
だけど、大人は見栄とか、知識とか、そういうもので「化粧」をします。
いっぱい本を読んで、色んなセミナーに出て、いろんな人の講演を聞いて・・・
気がつけば素顔もわからない程に厚化粧になり、それでも足りずに常に新作化粧品の情報にアンテナを立て続け、四六時中新しい化粧のことばかり考えている・・・なんていう人もいますが、そういう人ほど、素肌はどんどん傷んでしまいます。
そして、そんな自分の素顔や、素肌を見ることが恐くなってしまいます。
それよりも、私達大人は、心の奥に純粋に目を向け、そして触れられるように、肌の汚れを洗い、そして曇った目を洗っていくことを心がけたほうがいいと、私は思うんです。
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