どんなことでも、問題を解決しようとするなら、一歩踏み出さなければならないのは当然のことです。
現状の自分の身にその問題が起こっているのだから、「現状の自分」のままでは解決しません。
現状から一歩先に進んだ時に初めて、「今までの現状」では足りなかったものに気づき、今までの現状の自分には見えなかったものが見えてくるわけですから。
逆に考えると、それに気がつくためにこそ、問題というのは起こっているのかも知れません。
しかし多くの人は、その問題を人のせいにしたり、社会全体のせいにしたりしがちです。
自分を変える、一歩踏み出すなんていうのは、なかなか面倒なことですし、勇気のいることですから。
だからつい人を責め、攻撃します。
「あの人のこういうところが良くない」とか、「あなたのせいで傷ついている」とか。
だけどそもそも、「あの人」とか「あなた」という相手を変えることなど出来なくて・・・
そもそも自分を変えることさえ大変なのに、他人を変えることなんてもっと大変なのです。
つまり、やたらと攻撃的な人というのは、実は「守り」に入っているのです。
自分のせいにならないように。
自分を変えなくて済むように。
だからそういう人達は「被害者」のままでいて、いつまでも現状が変わらない。
そしてその現状が変わらないことをまた、誰かのせいにしているという悪循環を起こしているのです。
ところが勇気を出して一歩踏み出せば、「あの人」や「あなた」との距離感が変わってきます。
「あの人」や「あなた」は、「今までの現状」の自分の近くにいたからです。
いくらその人を遠ざけようと攻撃しても、決して彼らは動きません。
目に映る風景を変えたければ、自分が動くしかないのです。
愚痴や不平不満はストレス発散になる、という考え方もあるでしょう。
それもまぁ、些細なものならいいかもしれません。
しかし、その「ストレス発散」で癒されるものは、自分自身の中にある「現状の自分のままでいたい」という欲求です。
「自分は変わらなくていい、自分は今のままでいい、変わるべきはあの人だ、あなただ」・・・
そう言い聞かせて、スッキリしているだけなのです。
そういう人にとって、愚痴を聞いてくれる人、慰めてくれる人、受け入れてくれる人は天使のように思えることでしょう。
逆に、愚痴を聞いてくれない人、その愚痴に対して意見を言うような人は、攻撃の対象になりかねません。
この文章なんかもそうでしょう・・・
しかし、それでは何も変わらないし、現状から一歩も抜け出せません。
愚痴や悪口、責任転嫁というのは、その変わらない現状の中の、ごく一時的な快楽のような、麻薬のようなものでしかない、ということを理解しておいたほうがいいでしょう。