以前にも何度か紹介しましたが、みぞおちの左側には、整体法でいう「感情活点」という急所があります。
その名の通り、主に感情の抑圧が現れるところです。
「感情」というのは実は単純で、基本的に嬉しい、楽しい、悲しい、怖い、怒り、ぐらいの種類しかありません。
これは何らかの出来事があった時に、衝動的に、瞬間的にフッと発生するものであって、それに意味付けをするのは「感情」ではなく「思考」です。
たとえば誰かに言われた言葉に「納得できない」というのは、感情というよりは思考です。「納得する」ということは理論的に辻褄を合わせるということですから、感情ではなく思考です。
しかしその奥底にある感情は、本当は「怒り」がほとんどでしょう。嫌なことを言われたとか、言い方が感じ悪かったとか、理由はともあれ、腹が立つ言われ方をされた。
もっと端的に言えば、「イラッ」とした、ということです。
この「イラッ」には、理屈のつけようがありません。ただ湧いてきた感情です。
こういう感情が湧いた時に、「感情活点」は緊張します。
つまり「イラッ」ときた感情というのは、生理的反応と同等といってもいいぐらいに、意図せず怒るもの、コントロールできないもの、ということができます。
同じように、怖かったりびっくりしたりした時の「ドキッ」という反応でも緊張するし、悲しみ、ショックなどでも緊張します。
では、そのようにして起こった緊張が、どのように緩和されて元通りになるかというと、その感情を、行動・動作とともに表現し、発散することによってのみ、解消されていきます。
行動・動作というのは、怒る、泣く、叫ぶ、などといったものです。
腹が立った時に声に出して怒ったり、怖かった時に泣いたり叫んだりして表に出すことです。
逆に、楽しかったり嬉しかったりした時も、感情活点は緊張します。
これも、声をあげて笑ったり、嬉しくて小躍りして表現したりすることで、その緊張は緩和されます。
しかし、その怒り、悲しみ、恐怖などを表現できず、内にこらえたままでいると、いつまでもその緊張が取れません。
つまり、悲しい時に泣かない、怒りを表現できない、怖いのに怖いと言えない、そういうことを繰り返すと、常時この「感情活点」が緊張したまま、ということになります。
「感情を表現できない」なんて、よほど虐げられた環境で育ったような人のことなんじゃないか、と思われるかもしれません。
しかし、子供の頃に泣いていて、親に怒られた経験がある人は多いでしょう。
優しい両親に育てられたような人でも、「親に心配をかけてはいけない」と、いろんなことを我慢し続けたという人も多いことでしょう。
そうやって、ほとんどの人が感情を抑圧しながら大人になっています。
大人になってからも、感情の抑圧は続きます。
家庭や職場の人間関係の中で、家庭の中でも、我慢を強いられることは多いでしょう。これは仕方のないことです。
ただ、一番よくないのは、その我慢を、プラス思考で封じ込めてしまうことです。
「この我慢がいつか実を結ぶ」
「この経験で自分は成長できる」
こういったポジティブな考え方で無理やり自分を奮い立たせている人のほとんどが、実は感情活点を固くしています。
自己啓発や宗教、スピリチュアルなどに夢中になっている人にも大変多くみかけます。
怒る、泣く、落ち込む・・・こういったネガティブな要素は、本当は素直に向き合った方が、後腐れなく感情は「成仏」してくれるのです。
それが心神喪失状態になるような特別なショックである場合を除きますが。
感情活点が固いままであるということは、実は感情が常にいっぱいいっぱい、レッドゾーンに突入しているということです。
そのため逆に、些細なことで感情が乱れてしまう、情緒が不安定になってしまう、ということが起きます。
または、感情が感じられなくなってしまうタイプの人もいます。笑えない、泣けない、表情が変わらない・・・常に冷静なように見えますが、周りからは冷たい人にみられるようなタイプの人。
そこまでのレベルには達していない場合は、人前ではいつもニコニコしているけど、家に帰ると途端に落ち込むとか、突然ヒステリーを起こす、などというケースがあります。
ちなみに感情活点の塊に「愉気」をしていたりすると、ポロポロと涙を流したり、腹が立った出来事を口に出したり、ということがけっこうな頻度であります。
意識で押さえ込んでいた感情が、表面に浮き始めるんですね。そうして少しずつ発散して消化していくわけですが、根が深い人は時間がかかります。
いずれにしても、感情というものは、考え方を変えたり、精神力を鍛えたりすることで処理できるものではありません。
冬山にこもって修行したり、滝に打たれてどうにかなるものではありません。
そうしたことで得られる力は、さらに強く抑圧する力です。
「感情は生理的反応と同等」というようなことを先ほど書きましたが、その感情の処理、消化ということも、怒る、泣く、叫ぶ、といったような生理的反応によってのみ遂行されるものです。
そこで表題の「幽霊が成仏できない理由」の話ですが・・・
幽霊が実在するかどうかは実際のところよくわかりませんが、仮に実在するとしたら、それは肉体を持たない存在です。
肉体を持たないと、泣くこともできません。涙が流れないのです。
声を出して怒ることもできません。怖くて震えることもできないし、叫ぶこともできません。
だから感情を消化することができず、ひたすら抱えたままの状態です。
それはとても苦しい状態でしょう。
だからそれを発散する肉体を求めて、生きている人間に憑依するのかもしれませんね。
もちろんあくまでも仮説です。
こういった心霊系の話をもっともらしく語って恐怖心をあおるつもりは全くありませんが、「感情」というものの仕組みから考えると、そういったことになります。