今年は随分と久しぶりに、元旦の初詣に行ってまいりました。
厚い信仰心をお持ちの方からは怒られそうですが、実は初詣自体に、数年行ってなかったのです。
それが今年に限って元旦に行ったことにも、あまり大きな理由がありません。
ただ昔から、神社仏閣自体は嫌いではなく、やはり人々が大切にしてきた場所ですから、その思いはその場所に強く息づいている、それこそ「神聖な場所」だと思います。
行くとやはり、清々しい気分になるし、その歴史の重みを感じたりもします。
なので初詣の際にも、お願い事などはせず、ただただお参り、ご挨拶だけをさせていただきました。
ではここからは、その「願い事」をするということについての話です。
お正月に水を差すような話ではありますが・・・
初詣でお願いをしたからといって、願い事が叶うわけではないのは、本当のところはわかっていることだと思います。
強いて言うなら、願い事を叶える誓いを立てる場であったり、決意を自身の腹に落とすための儀式、みたいなものかもしれません。
絵馬に願い事を書いたりするのも、未来の自分を書き記しておくというようなものかもしれませんね。
信仰心のある方だったら、その決意を見守ってください、というように祈る機会なのかもしれません。
いろいろ異論はあるかと思いますが、私自身は初詣をそのような感じで捉えています。
では、願望を叶えるために必要なことは何かというと、それはメンタル+行動がセットになって動いていること、です。
全く何もしないで、夢だけ見ていても叶うはずはありません。
言われなくても、思わずその行動をとってしまうくらいの願望でないと、メンタルにエンジンはかかりません。
(だからたとえば、初詣でお願いしたことを1ヶ月後には忘れている・・・というようなレベルでは、叶うはずがないのです。)
そのかわり、メンタルにエンジンがかかったときはすごいことがおきます。
それがいわゆる潜在意識という百万馬力の力です。
逆に言うと、いろいろ頑張っているけれど叶わない、というのは、どこかその願望設定にズレがあるのかもしれませんね。
こうしたい、と思っているつもりなのに、心のどこかでその実現に抵抗している。
これがよく言われる、「ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる状態」です。
その理由としてよくあるパターンが、その願望が実は本物ではなく、「こうしなければならない」と思っているだけだったりする、ということ。
たとえば「素敵な人と結婚して幸せになりたい」という願望があったとします。
しかし本当の本当は「適齢期にはいい相手を見つけて結婚しなければならない」という思い込みでしかなく、本心では、やりたい仕事に一人で取り組むキャリアウーマンに憧れていたりとか。
「年収2000万円稼ぎたい」という願望が、実は「2000万円ぐらい稼げないと一人前とは言えない」という思い込みで、「本当は食うのに困らなければ十分で、それより好きな仕事をしていたいんだ」とか。
これは本当によくある話なんですが、こういう話を書いていると長くなってしまいますから、興味のある方は
のほうでたっぷりお聞きいただければと思います。
そして正しい手順で、正しい舵取り、正しい足取りで、その実現への道を歩き出していただければと思います!
「ブレーキを踏みながらアクセルを踏む」ということは、うまく前に進まないだけでなく、スリップ事故を起こしやすいです。
実はとても危険なことです。
ともかく、最初の一歩は、小さくてもいいですから(むしろ小さいことのほうが正解であることが多い)、年の初めや年度の初め等、節目の時に始めてみることをおすすめします。
(もちろん、それ以外の時期はダメ、ということではありません。)