「頑張る」とか「頑張って」という言葉は、近年あまり好まれないらしい・・・
「もうこれ以上頑張らなくていいよ」というと喜ぶ人は多いし、ある分野では「『頑張れ』という言葉は禁句だ」ともいいます。
果たして本当に、「頑張る」ということは良くないことなんでしょうか?
「頑張れ」と言って人を応援してはいけないのでしょうか??
それはもちろん、相手との関係性とか、その時の状況次第で「頑張る」という言葉の意味が全く違うわけですから、「正しい/間違い」の一言で片付けられる問題ではないとは思います。
それに、「頑張る」ということの定義も限定されたものではないですから。
ですから、ここでは私の個人的な考えを書いておくに留めたいと思います。
「頑張る」ということは、言い換えると「努力する」ということだと思うのです。
「努力する」ということは、普段よりもちょっとだけ力を多めに出す、ということでしょう。
この努力というのは、普段以上の結果を出す時には不可欠だと思うんです。
普段以上の結果というのは、今よりも良い状況、という意味です。
今、もし何らかの悩みを抱えていて、それを解決したいと思う時・・・
その解決した状況というのは、今よりも明らかに良い状況のはずです。
今よりも豊かになりたいとか、今よりも充実した日々を送りたいとか、叶えたい願望がある、達成したい目標がある・・・・
それらが実現した時というのも、明らかに今よりも良い状況です。
ならば、今までのまま、普段のままでは、決してそこに到達しないのです。
だから「頑張る」ということが必要になります。
今まで以上のことをやってみるのです。
今までやったことのないものをやってみる、今まで避けて来たものにチャレンジしてみる、体験したことのないものに目を向けてみる・・・
こういうことを「頑張る」というのではないでしょうか?
(詳しくは当塾の『願望実現法講座』をお聞きください。)
ただ問題は、その頑張る「度合い」だと思うんです。
今までよりも少しだけ上乗せするのです。
たとえば、30kgのバーベルをやっと持ち上げられるようになった人が、次にいきなり倍の60kgにチャレンジする・・・
これは明らかに「頑張る」のではなくて「無茶をする」ということだと思います。
いきなり上乗せしすぎて、どこに力を入れればいいのか、今までの30kgの時の体の使い方に何を付け加えればいいのか・・・差がありすぎて、それもわからないはずです。
しかし2〜3kg程度上乗せしたものなら、もうちょっとの工夫、もうちょっとの頑張りでできるようになるはずです。
こういう頑張りを繰り返して行くうちに、体や心もそれに伴って成長し、やがて40kg、50kgと持ち上げられるようにいくはずです。
あともう一つ勘違いされやすいのは、何に対して頑張るか、です。
頑張れば頑張る程つらくなる、苦しくなるということもあるかもしれません。
もしそうだとしたら、それは自分自身が本来持っているはずの、本当の目的とのズレが大きいのだと考えたほうがいいでしょう。
そういう人にかけるべき言葉があるとしたら、それは「頑張らなくていいよ」ではなくて、「頑張ることが違うんじゃない?」ということじゃないかと思うんです。
逆に、本当にやりたいことに向かっている人というのは、「頑張る」とか「努力する」ということが、決してつらいこと、苦しいことではないということが理解できるはずです。
勇気はいるし、不安もあるんだけど、やってみるととても胸がスッキリする、仮に失敗しても、何となくチャレンジしたことへの満足感はある・・・。
本当に「頑張った」時というのは、そういうものだと思います。