随分前に、知人からインターネットに関するアドバイスを求められたことがあります。
その相手は当時、自身が関わるイベントの宣伝を担当している立場にあったので、何とかそのイベントを盛り上げるため、WEBをどう活用したらいいか、とのことでした。
ただ、本人はインターネットについて詳しいと自負していたようで、そこそこ自信もあったように見受けられました。
だから本当ならば、私のアドバイスなど必要なかったのかもしれませんし、本気で聞く気はなかったのかもしれません。
私の意見に対する彼のリアクションは、あまりにひどいものでした。
例えば、Facebookに詳しく情報を書く事を提案すると、「Facebookを見たからって来る人はいない」と返ってくる。
ブログやホームページを使って、情報をしっかり残しておく、検索エンジンなどに表示されやすくするなどの対策をとっているのかというと、「それは費用と時間がかかる」と返ってくる。
お金がかかるといってもたかが知れているので、ならば無料のサーバーなり、安いサーバーを知っているから紹介しようかというと、「セキュリティが怪しい」・・・と返ってくる。
もうその時点で私はあきれてしまい、発言するのをやめてしまったのですが、こういうリアクションを聞いていると、本人が口では何と言おうと、本気で取り組む気がないのだ、ということは明白なわけです。
「もう、やめてしまえ!」という言葉が喉元まで出かかっていたのですが(笑)、その言葉をわざわざ吐くまでもなく、その人は後日その役割を退いたようです。
この人のこのエピソードに限らない話だとは思うんですが、こういう状況の時、邪魔をするのが潜在意識の中にある二つの要素です。
一つがまず、「自分は分かっている」という思いです。
上記の例でいうと、「インターネットに詳しい」という自負があるせいで、私がどんなアドバイスを言おうと、まず「あぁ、それなら知っている」「それなら調査済み」というフィルターにかかってしまい、それ以上の話を聞かなくなってしまうのです。
しかし実は、そのフィルターから漏れた部分といいましょうか、その人のフィルターと他人のフィルターは違うわけですから、その微妙な違いの中に、壁を突破するヒントが隠れている場合が多いわけです。
まぁ、上記の例の人の場合はプライドもあったのでしょう。
ただこういうことは、当塾の講座の時などでも時折見かけられる光景です。
他所でならった経験のある人や、医学/生理学に詳しい人などは、当塾では使っていない専門用語を出してきたり、他所で習ったこととの比較をする人がいたりします。
こういう場合は、自分自身のフィルターのせいで、見落としているものが多い可能性があります。
もう一つは、結局は同じような意味なんですが、「今のままでいい」、「現時点で充分に出来ている」というような思いです。
今以上の結果を求めている以上、「今のままでいい」などというのはそもそも矛盾しているわけですが、案外ここに陥ってしまっている人は多いのではないかと思います。
少し角度を変えてみると「私は充分頑張っている」「自分の努力を認める」という考え方とも同じかもしれません。
自分を認めるのはとても大事なことだけど、自分が認めたのは既に過去の自分です。
答えは未来にしかありません。
だから、今までにやってきたことだけでは先に進めないのです。
「それなら経験済み」「それなら知っている」という自負は、何の役にも立たないのです。
だから考え方としては「充分やってきた」よりも「もっとできる」「もっとやれることがあるはず」という意識を常に持つ事のほうが何倍も大事。
そうすることで、今までやってきたことにも、まだまだ見落としていたことがいっぱいあることに気づくでしょう。
考え方の角度を変えることで、新しい視点が芽生えるのです。
ところがこれを「自分は経験済み」「もう精一杯頑張って来た」と考えてしまうことで、潜在意識は新しい視点を探すことをやめてしまうのです。
さらには、新しい視点というものを拒否するようにまでなってしまいます。
だから他人のアドバイスを聞かなくなるし、それを不快にまで感じるようになってしまいます。
そしてその不快さに言い訳をするために、「今のままでいい理由」をもっともらしく考え出すようになります。
そういう人はとても弁が立つのですが、それはいかに自分がこれ以上頑張らなくていいか、そしてうまくいかない理由が自分ではなく、周りにあるのだという証明をするための、緻密な言い訳なんです。
言い訳のために、もっともらしい理屈を構築し、証拠となりうるネガティブな情報を収集する・・・そんなことのためにエネルギーを使うのはとても勿体ない話ですね。
それよりも「もっとできることがあるはず」と常に自分に問いかけ続けること、そうすると潜在意識はその「できること」を一生懸命検索し続けてくれますよ。
そして、「まだまだ知らないことがいっぱいある」と、好奇心に満ちた少年のように、新しいアイデアや情報との出会いに期待しながら日々を過ごすこと、これだけでも自分の周りの世界は大きく変わっていくはずです。
実際に、私達はほんとうに狭い視野でしか自分自身を、そして自分のいる世界を見ていないのだと思うんです。
もっともっと、私達は可能性のある広い世界に生きているはずです。