私達人間は、肉体という「物質」を持って生きているのですから、「自分を変える」「自分が変わる」ということは、肉体にも変化が表れてこそ本物だ、ということができます。
これは特に、精神面、スピリチュアリズムに強く傾倒している人に言いたいことなんですが、「精神面での変化」も、必ず肉体に表れてくるものなんです。
というよりも、表れてこないものは、実は変化した気になっているだけだったり、極めて微小な変化でしかない、ということです。
肉体に表れる変化と言っても、それは極端に体型が変わるとか、そこまでではありません。
もちろん、心の変化とともに体型まで変わってくる場合もありますし、特に姿勢には表れやすい面もあります。
そうした変化はプロの人ならわかりますが、パッと見ただけでは分かりにくい場合も多いでしょう。
通常は、たとえばお腹の固さが変わるとか、背中の筋肉の緊張度合いが変わるとか、そういったものです。
ただ、一般的に分かりやすい変化というのは、行動の変化です。
行動というのは、必ず肉体の動きによって行われるものですから、行動の変化というのは、つまり肉体レベルの変化なんです。
「精神的に成長した」「心が大きく変化した」といっても、その人の日々の行動が変わらない限り、それは「変わった」と言えません。
簡単に言うと、「今日からは心を入れ替えて、一生懸命働きます」と言っていたとしても、実際の仕事ぶりが今まで通りダラダラしていたのでは、決して「変わった」とは言えないでしょう?
本人がいくら「心の中は変わっているんだ」と言い張っていたとしても。
こういう「変わったつもり」の状態は、よく心理系、自己啓発系セミナーなどを受けた人、本を読んだ人などに見られることがあります。
こういうセミナーや本では、感情を動かしやすい言葉が選ばれ、話を上手に組み立てて受講者や読者に語りかけられます。
多くの人がその影響で感動することでしょう。
その素晴らしい内容に、講師や著者のファンになり、尊敬の念を持つことも多いでしょう。
しかし、感情の動きというのは、残念ながら一時的なものでしかありません。
それが骨の髄にまで染み込み、そして行動に変化が表れるものでなければ、あっという間にどこかに流されていってしまう、実に儚いものなんです。
誰もが今までに、感動的な映画とか、感動的な物語、感動的なドキュメンタリーなどを見て、何十回、何百回と「今日からポジティブに生きよう」等と決意をしてきたはずです。
しかしそのほとんどを、今となっては覚えていないでしょう・・・
しかしながら、「感動する」ということは、とても「気持ちのよいもの」でもあります。
何か新しいものを見つけたような、自分が大きく変われるような、そんな期待感や幸福感をもたらしてくれるものです。
もちろん、その感動自体が悪いものだとか、余分なものだと言うつもりはありません。
しかし、何か自分の問題を解決したいとか、変化を起こしたいとか、そういう目的を持っている時に、決してその感動に溺れていてはいけないのです。
なぜなら、最高の感動を感じた時というのは、それがピークだからです。
至福の時というのは、その時点でもう「満たされている」感覚なのです。
だからそれ以上のものはいらない、もうそのままでいい、そのような心が、潜在意識を支配している状態なのです。
だからそれ以上伸びることがありません。
現状に留まろうとするばかりで、「前に進まなくては」という原動力がないのです。
「素晴らしいお話に感動しました」「いい先生に巡り会えて満足です」などという声も度々聞くことがあるのですが、そういう声は、残念ながらあまりあてになりません。
続かないのです。
感動に浸っている場合ではないのです。
「気持ち」に酔っている場合でもないのです。
現実的に、自分自身の肉体レベルの変化を起こさない限り、その感動は麻薬で得たような幻想に過ぎない、と言っても過言ではないでしょう。