よく、「うちの子には集中力が欠けているんです」なんていう話を聞くことがあります。
よく話を聞いてみると、宿題をさせてもすぐ投げ出してしまう、通わせている塾の勉強に集中してくれない、と。
その代わり、ゲームばかりしているとか、サッカーの練習ばかりしているとか、マンガばかり読んでいる・・・というのです。
となると、これは決して集中力が無いとは言い切れないのです。
ゲームやサッカー、マンガなどにはどれだけ時間を費やしても飽きないのですから、これは実はもの凄い『集中力』の現れではないでしょうか?
要するに、集中力が無いわけではないんです。
親の望む方向にその集中力を発揮してくれないだけ、です。
それを「この子には集中力がない」と決めつけているにすぎません。
問題は、そうして決めつけられた子ども自身が、「自分には集中力が欠けているんだ」と思い込んでしまうことです。
大人だってそうだし、子どもなら尚更ですが、つまらないこと、興味のないことをずっと続けるのは難しいものです。
無理矢理続けさせたって、集中力など育つはずがありません。
集中力をつけさせたければ、できるだけ幼いうちに、自ら興味を持ってやり始めたことを、トコトンまでやり遂げさせてあげることが一番でしょう。
なるべく途中で邪魔をしたり、中断させたりしないほうがいいです。求められない限りは、余計なアドバイスもしない。
たとえそれが、大人から見ればくだらない遊びでも、役に立つとは思えないことであっても、決して馬鹿にしたりしないことです。
同じ遊びばかり繰り返しても、「進歩がない」とか、「成長してない」とか考えないことです。
同じ事をとことん繰り返してこそ、ようやく分かることだってあるでしょう?
それに、他者の目から見れば同じことであっても、本人の中では微妙な違いを感じながら繰り返しているのかもしれません。
トコトン納得するまで繰り返すという経験は、その微妙な違いを見極める感受性を育みます。
そして、自らの力でやり遂げ、自らの能力で理解したという、喜びと自信を育むことにもつながるでしょう。
つまり集中力というのは、物事の本質を見極める力のことでもあり、体験を通して様々な智恵を吸収する能力のことでもあります。
物事の本質や、体験に含まれる重要な意味というのは、いつもその物事の『一番奥』に潜んでいるものです。
何事にも集中して取り組める人は、そこに行き着くことの喜びを知った人です。
逆に集中力がない人ほど、上辺だけで物事を判断してしまいます。
上辺だけでわかったつもりになってしまったり、逆に少し難しいだけで投げ出してしまったり・・・。
やはりある程度深入りしてみないと、物事の本質はわからないし、経験から学ぶこともできません。
経験だけなら誰だってできます。
だけどそこから学べるかどうかは別。
同じ失敗ばかり経験している人もいるし、いくら経験が豊富でも全く成長の跡が見られない人もいます。
そう考えていくと、重要なのは経験の「数」じゃないことがわかるはずです。
実際、人生を変えるほどの深い経験なんていうものは、さほど多くはできないものでしょう。
だから次から次へと知識や経験を増やそうとするよりも、集中力を高め、一つ一つの出来事から吸収できる力をつけたほうがいいはずです。
それは「これ以上噛んでも味が出ない」という程に、一つの経験を味わう力です。
味わい尽くすことができれば、本当の意味でその経験から「卒業」することができるようになります。
同じ失敗を繰り返さないコツはそこにあります。
ともかく何事も、人から押しつけられたものはなかなか身に付きにくいものです。
集中力だって同じで、自らの内側から沸き起こる興味、欲求、希望・・・それにトコトン打ち込むことで、集中力は身に付いてきます。
その行為がたとえ、将来役に立つかどうか分からなくても、利益を生むかどうかわからなくても(他者に損害を与える場合は別ですが)関係ありません。
その行為の本当の意味もまた、トコトンやり尽くした後にこそ、見えてくるものなのではないでしょうか。