当塾でお伝えしている『体癖』(心の癖・体の癖)というものについて、時々その目的について尋ねられることがあります。
それは、タイプ別に分類することの目的ということだと思います。
その目的はいくつもあります。
たとえば療術の専門家にとっては、タイプを知ることによって、その人の病気の傾向、悪くなりやすい場所や症状の傾向などを読み取る上で、大変大きな手がかりとなります。
心理セラピストにとっても、その性格や心の動きの傾向を読み取る上でのヒントとなります。
もちろんこれらは、専門家の人だけでなく、一般の人でも役に立つことです。
しかしそれよりも大事なことは、まず「違い」の存在を知るということです。
人にはそれぞれに個性があるということを、ただ漠然と「人はみんな違うもの」と考えるだけでは、なかなか本当の理解には至らないものです。
違いを知るためには、ただ違うというだけでなく、逆に同じような人達もいる、ということも知らなければなりません。
自分と同じような体や心の癖を持っている人もいるけれど、違う人もいる。
たとえば自分はAさんと全く考え方も好みも合わないけれど、Aさんと同じ様な人もたくさんいる、ということです。
そうして全体を見渡してみると、いくつかのタイプに分けることができる、これがこの体癖という理論なのです。
それで、ここからが最も大事なことなのですが、違いがあるということが分かったら、今度はそこから、理解へと進んでいかなければなりません。
それが本当の体癖論の目的だと思います。
違いがあるということは、そこに様々なズレが起こるということです。
違う人間同士が共存している世の中ですから、折り合いがつかないこと、共感しあえないこと、そういったことが出てくるのは当然です。
なぜ人間に、このようなタイプの違いが存在するのか、その理由はわかりません。
まさに「神のみぞ知る」というような話です。
しかし、全く価値観の違う人達で人間社会が構築されているということは、自分の価値観では見えない部分を、他のタイプの人が補ってくれているのだ、と考えることができます。
ちょっと大げさな言い方になりますが、全てのタイプに、それぞれの役割がある、と思うのです。
体癖を勉強していく過程で、多くの人が陥る落とし穴があります。
それは、特定のタイプのことを悪く思ってしまう、ということ。
誰にでも、苦手なタイプがあるのは事実です。
しかしその苦手なタイプの特徴こそが、自分自身に一番欠けている部分なのかもしれないのです。