中心に集める内の力

体と心全般

人の体が正しく機能しているかどうかの目安の一つに、『力が中心に集まっているか』という観点があります。

体が疲れてくると、人の体は外に力が逃げていきます。

 

たとえば長い間達立ち続けて足腰が疲れてくると、だんだんと足の外側に力が逃げていきます。

それで足の小指側に体重をかけるようになり、親指側のほうを浮かせて立つようになってきます。

または、右足、左足に交互に体重を傾けるようになります。

これも、中心に力を保つことができなくなってきた時に起こる現象です。

疲れると腰が後ろに曲がってくるのも、中心に引き寄せる力が弱ってきたためです。

 

人間が二本足で立っていられるのは、この『中心に集める力』が働いているからです。

三本足や四本足のものならば、別に力を使わなくても立っていられます。

三脚や机などの物体は、自ら働く力など持っていなくても、物理的なバランスさえ取れていれば立っていられます。

しかし足が二本しかないとなるとそうはいきません。

 

 

この『中心に集める力』を失うと、立っているどころか、姿勢を保つこと、形を保つことすらできなくなってしまいます。

海に漂うクラゲには、この力がほとんどありません。

クラゲがその形を留めていられるのは、大半が海の水圧のおかげです。

クラゲ自らの力ではなく、外にある力によって形を保っていられるのです。

だから陸に打ち上げられると、身動きがとれなくなるだけでなく、その形を留めることさえできません。

 

クラゲに例えるのは極端ですが、それでも、内の力が抜けてしまった人は、表情もまるでクラゲのように、力のないものになってしまいます。

顔のパーツが外に広がってしまったようになってしまい、口をだらしなく開き、トロンとしたうつろな目をしている人・・・

つまり気力を失っている人がそうなっています。

これも、中心に集める力、内の力を失っているために起こってしまう現象です。

 

少々話が大きくなりますが、私達人間が、人間としての存在を維持していられるのも、この中心に集める力のおかげなんです。

私達の体を構成しているものを物理的な観点から見てみれば、炭素、酸素、水素、リン、ナトリウム・・・といった物質の集合体にすぎません。

しかしこれらの物質を同じような割合で集めてきても、決して人間の体ができあがることはありません。

たとえ私達の体が物質の集合体であっても、それらをつなぎ止め、一つの形とする力が常に働いているから、私達は人間として生まれ、生きていられるのです。

ちょっと気を抜いたら、体が炭素と酸素と窒素に別れてバラバラになってしまったとか、気化してしまった!・・・なんていうことはありませんよね(笑)

 

だけど、死んでしまえば、徐々にバラバラに、粉々になって消えていきます。

やはり、生きているということは、『中心に集める力』が働いているということ、それも、クラゲのように外の力によってではなくて、自らの内側で働いている力がある、ということなのではないでしょうか。

 

体の中心というのは、極めていけば限りなく細い、体の中の一本の線であり、更に極めれば点です。

体の中の奥の奥、極め尽くせば最も深い所、無に近いもの…ということになるでしょう。

まぁそこまで極めるのは無理だとしても、体の中でも奥の方である、ということだけは確かでしょう。

 

心身ともに、その中心を育て、活かすために一番大事なことは、体も心も、まず『自発的に動かす』ということだと思います。

どんな小さな動きでも、ゆっくりとした動きでも、自分から動くこと。

 

止まっている状態から動き出す時、その力の起こりは、必ず自分の内側で発生するからです。

誰かに引きずられたり、蹴飛ばされて転がるのとは違う、自分の内側の、一番奥で始まる力です。

だからまずは動くことです。

寝ていたのでは決して丈夫にも、健康にもなれません。

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