情報が豊かな昨今、医療や健康のこと、心理学の事、整体のこと・・・等、色々と詳しい人に出会うことがよくあります。
当塾に来られる人でも、多くの知識を持っていて、私が知らないようなことまで詳しく知っている人もいます。
基本的に私の知識が少ないせいもあるんですが、知らないこと(特に医学知識とか専門用語)について聞き返したりすると、「そんなことも知らないんですか?」みたいな顔をされることもあります。
そもそも当塾は医療機関ではないんですけどね。
また時には、私の言うことがお医者さんの言うことと違うこととか、別の整体で言われたことと違うとか、ノグチ整体の本に書かれていたことと違うとか・・・
そういうことを指摘されたことも、何度かあります。
でも、その度に、あまのじゃくな私は思うんです。
「他で言われたことと同じ答えを、私に求めているのだろうか?」と。
だとしたら、最初からその答えを出したお医者さんや、別の整体の指示に従うべきなんじゃなかろうか・・・などと思うんです。
今までと違う結果が欲しい、今までと違う自分になりたい・・・
もしそういう目的をもっているのなら、そのために必要なことは、「今までの知識にないことを受け入れること」なんだと、私は思うんです。
少々話は変わりますが、知識が多いために、その知識に縛られて、身動きがとれなくなっている人を、本当にたくさん見かけます。
そして、知識にとらわれ過ぎて、ありのままの現実の姿が見えなくなっている人も。
たくさんの「正解」を知らなければ、安心できないのでしょう。
そして本や有名な先生が示してくれる「正解」に合っていなければ、不安で仕方ないのでしょう。
だけど、人間の凄さっていうのは、知識にないこと、前例のないこと、理屈で説明のつかないことを思い描いたり、感じ取ったり、創り出したりできることなんじゃないかと思うんです。
既にあるものを覚えるだけなら、猿でも犬でも、カラスでもできる。
だけど、『無いものから創り出すことができる』ということこそ、人間だけが持っている能力なんじゃないか、と思うんですね。
一昔前ならば、知識というものさえ、一部の人間だけが独占していた世の中です。
だけど今はそうではありません。
そればかりか、いくら数多くの知識を頭に叩き込もうとしても、そんなもの、グーグルやヤフーから調べられる情報量には、到底及ばないわけですし...。
そんな今だからこそ、情報ばかり頭につめこむのをやめて、
過去の知識にばかりとらわれるのをやめて、
理屈に合わないことを感じてみたり、言葉に表れない心を感じてみたり、前例のない未来に思いを馳せてみたり、
・・・そういうことに、頭を使ったほうがいいんじゃないかな、と、私は思うんです。
体調不良を訴える人の中には、頭が重くなり、首や肩を強張らせている人がとても多いです。
(というより、ほとんど全員に近いんじゃないでしょうか。)
そういう人こそ、頭の中に詰め込んだ「べし・べからず」を一度手放して、頭を軽くしてみると、逆に頭がサクサク働くようになるものです。