「体癖」についての質問で時々、「相性」のことを聞かれることがあります。
『私のような○○タイプには、どのタイプの人が合うのでしょう?』というような質問です。
実はその質問には、あまり答えすぎないようにしています。
あまりに体癖「論」による決めつけが強くなってしまう可能性があるからです。
たとえば、恋人や結婚相手を選ぶ時、そのようなことが気になってしまう気持ちもわかります。
今現在付き合っている相手が、本当に自分にふさわしいのかどうか、体癖的に診断してほしい、というような相談を実際に受けたこともあります。
でも、こういうことって、本当は体癖「論」が先に立つものではないと思うんです。
仮に聞かれた通りに答えたとして、相手が○○型、自分は□□型で、「全然タイプが違う」と言われた場合、どうするんでしょうね。
「じゃぁ、別れます」なんて割り切れるものなんでしょうか?
実際そんなにバッサリ切る人はいないかもしれませんが、場合によっては、それ以降、相手を偏見の目で見ることにもなりかねません。
それに、何かにつけ「体癖の違い」を理由に相手を責めることにもなりかねません。
直接相手を責めることがなくても、自分の心の中で責めてしまうこともあるでしょう。
いずれにせよ、相手がどのような体癖の人なのか、分かる範囲であればお答えしています。しかしだからといって「相性がいいよ、悪いよ」なんていうことは、誰かが判断することではないと思うんです。
ただ、相手の体癖を知ることで、「元々違うタイプなんだ、だから違っていても仕方ないんだ」というように思えるなら、それはいい役立て方だと思うんです。
そしてその違いによって起こる軋轢を、出来るだけ歩み寄って解決していこうとする、それが人間関係の理想的なあり方なのではないでしょうか。
あくまでも「理解」のための素材として、体癖論を利用していただきたいと思っています。
ちなみに、相性という面では、やはり同じ体癖同士というのは、落ち着くのです。
好き嫌いが似ている者同士ですから、お互いが分かりやすい。
もちろん、それでも微妙な違いが気になったり、同じだからこそ、自分の欠点を見るようでつらい、なんていうことも無くはないのですが、それでもまぁ、ある程度は似通っていますから、楽なんですね。
あまり予想を裏切ることがない。
そういう意味では、自分が自然体でいられる相手というのは、同じタイプの人かもしれませんね。
そして自分と似た人が世の中にたくさんいるということを知ることは、自分の存在を認めてあげられる材料ともなります。
でも逆に、同じタイプの相手からは「刺激」があまり感じられないという傾向はあります。
自分にはない視点や考え方、自分の知らない世界・・・といった、ワクワクするような刺激とか、ドキドキするようなスリルとか、そういうものがどうしても足りません。
だから、恋愛に発展したり、何か新しいことを始めるパートナーだったり、師となる存在だったりする相手というのは、違うタイプの人であることが比較的多いようです。
やはり人は違うからこそ魅力を感じるし、自分とは違うものをもった相手と関わるからこそ、自分を広げることができるのでしょう。
心の癖・体の癖(体癖)については『心の癖・体の癖』PDFテキストでさらに詳しく説明しています。