「一口食べた瞬間に口の中に広がる美味しさ」っていうのもあるけれど、本物の「味わい深さ」っていうのは、最初の触感よりももっと奥にあるかのような感覚があります。
それは化学調味料で味付けされたものや、スナック菓子の美味しさとは全く異質の味わいです。
飽きるということもなければ、逆に飽きるほどに食べたくもならない。
やがて消えていく一口のその味の余韻を、ずっと追い続けたくなるような味わいです。
しかも薄れていけばいく程、感覚を研ぎすませて余韻に浸りたくなる。
音楽も似たようなところがあって、パッと聞いた時に気分が盛り上がるような、売れ筋の音楽もあるけれど、本当に心にしみ入る音楽っていうのは、聞けば聞く程味わいが増すものです。
流行ってはすぐに消える音楽が多い中で、何十年たっても色あせない名曲・名演というのもあります。
何十回、何百回と繰り返し聞いているのだけど、聞く度に新鮮な感動があります。
それは多分、聞き手の耳が肥えてくるからという理由もあるんだと思います。
食べ物の場合も、味覚が肥えてくる毎に、奥にある本当の味わい深さに気づけるようになってくるのでしょう。
そしてそういう耳や舌のを育ててくれるものもまた、そういった味わい深い音楽や料理だったりします。
これは、人の話や言葉についても全く同じだと思うんです。
その言葉や話の本当の意味なんていうものは、ずっとずっとその奥のほうに潜んでいるはずのもの。
近頃は『名言ブーム』で、何となくためになりそうな、いかにも良さげな言葉やポエムがあちこちで聞かれますが、果たしてそれらは、本当に私達の心を育ててくれるものなんだろうか、とふと思ってしまいます。
化学調味料で味付けされたお菓子のような、数ヶ月で忘れ去られるヒット曲のような、そんな言葉も多いんじゃないかな、と。
耳障りのいい言葉が、必ずしも自分を育ててくれる言葉とは限りません。
中には 苦みのある言葉や、ノイズのような言葉の中にこそ、深い味わいがあることも多いのではないでしょうか。
きれいに飾られた言葉にうなずいてばかりいるけれど、ちっとも自分が変わっていないなんていう人もいます。
そういう人のうなずきは、「その通りだと思います、もう私はわかっています」といううなずきなんです。
だから全く吸収することもない。
その言葉の真意を追いかけることもなく、ただただいい返事ばかり。
そのいい返事も、苦みのある言葉やノイズを聞かなくて済むようにするための『バリア』なのかもしれません。
話を聞き終わる前に、被せ気味にしてくる返事などはおそらくそうでしょう。
『真実』なんていうものは、そんなにわかりやすいものではないと思うんです。
本当に身になるもの、自分に新しい何かを教えてくれるものっていうのは、そう簡単に理解できるものではないはずです。
今までの自分の中にはないものだから。
だから、そういうものに出会った時というのは、なかなか「いい返事」ができないものです。
せいぜい「は、はぁ、そうなんですかねぇ…」なんていう曖昧なリアクションしか返せないことのほうが多い。
だけどそういうものこそ、後々ふと思い出しては、ようやくその意味を噛み締めることができる・・・
本当に心に響く言葉っていうのは、そういうものなんじゃないでしょうか。