よくある議論に、「目玉焼きには何をかけて食べるか」というものがあります。
私は断然醤油派ですが、絶対にソース(ウスターソース)だ!という人もいます。
他にも塩、マヨネーズ・・・といろいろ好みがありますが、結局「何が正しい」とか、「どれが一番美味しい」なんていう答えなどありません。
醤油派の私にとっては、醤油をかけて食べるのが一番美味しい。
ソースをかけても全然おいしくないと私は思うけど、私がしょうゆをかけて「美味しい」と思うのと同じだけ、ソース派の人はソースをかけて「美味しい」と思っているわけです。
だから単純に、醤油派の人は醤油を、ソース派の人はソースをかければいい、当たり前のことですよね。
自分が一番美味しいと思う食べ方をすればいいだけの話です。
自分が醤油派だからといって、ソースをかけて食べることをけなす権利もないし、相手にも醤油をかけさせようとする権利などありません。
仮に互いの間にはっきりと上下関係があって、醤油派の人が仕方なくソースをかけて食べさせられるようなことがあると、きっとその人は目玉焼きを嫌いになることでしょう。
食事自体が楽しくなくなるかもしれないし、栄養の吸収が悪くなってしまうことだってあります。
まぁ、たかが目玉焼きだけでそうなることもないでしょうけど、こういう問題は他の料理の味付けにも表れてくることでしょう。
そればかりか、こういう問題は、食べ物に限ったことではありません。
ちょっと話は大げさになりますが、その人の「感受性」の違いにおいても、全く同じことが言えます。
たとえば、私はいつも、「挫折や失敗を味わうこと」は、とても大切だと考えています。
何事もスイスイと簡単に実現する経験よりも、失敗から学ぶものはとても多いものです。
そしてそのためには、失敗した悔しや悲しさを、ごまかさずに「味わう」ことが大切だと考えています。
無理矢理プラス思考になったり、「この失敗には意味がある」なんて優等生のような考え方をしないで、思い切り悔しがったり、悲しんだりすることが大事だと思うんです。
充分に味わうからこそ、その経験を「消化」することができる、これは食べ物と全く一緒で、心というのも同じようなしくみを持っているのです。
ただ大事なことは、その「味わい方」というのが、人によって大きく異なるという点です。
極端に大きく分けると、二つの傾向に分けられます。
一つ目は、その悔しさ、悲しさを思い切り表現することで味わう人。
人目をはばからずに泣いたり、あるいは周りの人に相談して話を聞いてもらったりすることで味わうタイプです。
仮に、こういうタイプの人を「表現タイプ」と呼ぶとしましょう。
もう一つは、表にはほとんど出さず、誰にも打ち明けず、自分の心の中だけでその悔しさ、悲しさを味わうタイプです。
表には出さないため、周りの人には気づかれません。
別に落ち込んでいるようにも見えないし、悩んでいるようにも見えない。
何か大きな不幸があった時でも、「あの人、平気そうだね」なんて言われかねないタイプです。
このタイプを、仮に「内攻タイプ」と呼ぶとしましょう。
一見すると、後者の「内攻タイプ」の人は、感情がないかのように思えたり、無理して我慢しているかのように思われるかもしれません。
つい、「辛いことがあるなら、言ってくれればいいのに」などと言ってあげたくなるかもしれません。
しかし、内攻タイプの人にとっては、辛い時こそ、一人でいたいのです。
声をかけて欲しくないし、「辛かったんだね」などと言って欲しくない。
ましてや、「私もそういう経験があるから、気持ちは分かるよ」などと言ってほしくないのです。
だけど、前者の「表現タイプ」の人は、自分自身が悲しみや悔しさを他人に打ち明けたいタイプですから、他の人も同じだと思ってしまうのです。
それで、内攻タイプの人に対しても
「大丈夫?いつでも話を聞いてあげるよ」とか、
「悩みがあるなら打ち明けると楽になるよ」とか言ってしまいがちなんですが、これが内攻タイプの人にとっては、下手をすると屈辱的な言葉にまで聞こえてしまうのです。
もちろん、逆の場合も気をつける必要があって、内攻タイプの人は、自分が辛いときには放っておいて欲しいものだから、他人が悩んでいる時にも放っておこうとしてしまいます。
これが表現タイプの人にとっては、存在そのものを無視されたような、疎外されたかのような屈辱として感じられてしまうのです。
この「表現タイプ」「内攻タイプ」の違いについては、悲しさや悔しさだけではなくて、嬉しい、楽しい、といった感情についても同じように違いが表れます。
表現タイプの人は、嬉しさや楽しさを周りの人にも表現することでより深く味わえるし、内攻タイプの人は、自分の心の中で何度も思い返しては味わうことが心地いいのです。
だから、表現タイプの人に「一人で静かに味わいなさい」と言っても、それでは充分に吸収できないし、内攻タイプの人に「もっと楽しそうにして味わいなさい」と言っても、それでは楽しさが半減してしまうのです。
もちろん、どちらかが正しいわけでも、間違いなわけでもありません。
醤油か、ソースか、その違いと同じようなものです。
ただ、表現タイプ、内攻タイプの違いについては、完全にどちらかに分かれる、というものでもないのです。
どちらかというと表現タイプ、でも少しは内攻タイプ・・・というように、一人の人の中に混在しているのです。
たとえば醤油とソースを7:3割の比率で混ぜる・・・という感じですかね、いや、そんな人はいないと思うけど。
ともかく、人の感受性というのは、他にもいろんな角度から、二つのタイプにわけて見るとわかりやすい。
ちなみに、もう少し細かく、緻密に分類したのが『体癖』というものです。
これは少々学びと経験が必要かもしれませんが、興味のある人は研究してみてください</a>。
また機会があれば、こういった分類についてお話ししてみたいと思います。
『体癖』に基づく身体論は、当塾のCD教材、または講座DVDで分かりやすく学ぶことができます。