自分と違う人のことを批判する心理

体と心の話

近年、SNS上にやたらと人を批判するような投稿が多いという話を聞きます。

匿名性が高い故に、言いたいことを好き勝手に言えてしまうとはいえ、やはりこれはよくない傾向ですね。

 

批判する側の人からしてみれば、「正義感に基づいて発信している」「間違っていることをきちんと正さなければならない」「声をあげることで世の中は変わる」というような思いを持っていることでしょう。

それぞれごもっともな意見ではありますが、それらをさらに深掘りしていくと、複雑な心理がその裏側に、潜在意識に存在することがわかってきます。

 

その多くは、不安です。

何かの物事に対する不安、というような単純なものではなく、非常に複雑に絡み合った不安です。

 

まず一つ目に、自分が知らない世界への不安が挙げられます。

自分が経験していないことへの不安です。

自分がやってきたことと違うことを人がやっている。

それを見ていると不安になるのです。

 

たとえば新しい職場へ行く時、知らない土地へ行く時、そこは未知の世界です。不安だらけでしょう。

それと似たような不安を、自分の常識とは違う常識を持っている人からは感じるわけです。

その不安を解消すべく、「批判」「攻撃」という行動に出る人がいるんです。

 

自分の住んでいる町内や、自分が属しているグループに新しい人がやってきた時、最初は無視する、あるいは冷たく接する人なんていう人がいますが、これと同じことですね。

 

 

続いて、自分が正しいかどうかということへの不安が挙げられます。

自分がやっていることへの不安、自分の立場や行動、考え方に対する不安です。

正しいと信じてやっているはずだけど、本当は自信がないのです。

そういう人は、本当は弱い「信念」を隠すために、強固な理論武装をします。

 

最初のうちは、自分を批判しようとする人たちから身を守るための防衛武装なんですが、そのうち批判されることを未然に防ぐため、そして自分の正しさをアピールするため、批判材料を探して「先制攻撃」に移行します。

こういう人は、本当は自分の信念の弱さを認めてしまったほうが楽になるんですが…。

というより、そもそも信念なんていうものにこだわらないほうが楽です。

 

変な言い方ですが、素直に不安になったほうがよっぽど楽になるし、素直に行動できるようになります。

とにかく強い人を演じることを辞めることですね。

 

 

さらに複雑なのは、自分が正しいことをアピールすることに必死な人、です。

このタイプの人は、自分が守っているルールを守らない人に対してとても攻撃的です。

その守っていない人を見つけて「通報」するかのように、批判します。

 

では誰に通報するのかというと、それは周りの人ではありません。本当は「自分を監視しているもう一人の自分」にアピールしているのです。

まるで厳しい先生に監視されている小学生、中学生のように・・・これはある程度上の世代の人に多いですね。

 

結局はこれも不安をかき消すため、ということなんですが、根本的にこれを解決しようとするとその人が、実際に子供だった頃まで遡っていく必要さえあるので、かなり大変だと思います。

監視しているもう一人の自分は、主に幼少期に形成されているからです。

 

 

いずれにしても、こうした批判的な言動をする人が増えるという現象は、社会状況が不安定になった時にはどうしても起こってくるものです。

とりあえずは距離を置いて冷めるのを待つのが一番でしょう。

批判の裏には「不安」があるのだなということを理解すると、少しはその批判にいちいち腹を立てたり動揺することも減るでしょう。

 

そして自分自身が、本当は不安なんだということを認めてしまうこと、「信念」というようなものにすがりつくのをやめて、ブレブレの自分に気づいてしまうと、他人のことを揶揄するようなこともだんだんと減っていくものです。

 

もっと極意を言うと、今まで批判していた相手のことを、本当は「うらやましい」んだと認めてしまうことですね。

ただこれは簡単ではありませんが。

タイトルとURLをコピーしました