人間の意志の力は、空想の持つ力には到底及ばない、ということが言われています。
たとえば、「大勢の人前でも、緊張しないように、落ち着いて頑張ろう」と考えるのは意志の力です。
しかしいくら気を引き締めて頑張ろうと思っても、過去に大勢の人前でカチカチに緊張した自分の体験を思い出した途端に自信がなくなってしまうものです。
さっきまでの「頑張ろう」という意志も、一瞬の空想によって簡単に消え去ってしまいます。
「赤面しないように」と思えば思うほど顔が赤くなり、「震えないように」と思えば思うほど体がブルブル震えてくる、これも空想の力によるものです。
そもそも、「赤面し『ない』」「震え『ない』」という考え方自体が失敗の元です。
赤面することや震えることを否定するためには、一旦赤面することや震えることを思い浮かべる、という前提がないとできないからです。
「寝グセで頭にツノが生えたようになっている私の髪型を空想して笑わ『ない』でください」と言われても、つい想像して笑ってしまうでしょう?
その空想は、否定しようとする意志の力よりも圧倒的に強いです。
そして、意志はなかなか潜在意識に結びつきませんが、空想はそのままダイレクトに潜在意識へと入り込みます。
身体は、潜在意識と強く結びついています。
だから空想は体にも変化を起こし、顔を赤くしたり、ブルブルと震わせたりという身体的・物理的『現象』を起こすに至るのです。
一方、意識で身体に変化を起こすためには、相当の努力がいります。
「頑張ろう」と思っていても、なかなか重い腰が上がらないことも多いでしょう。
これは意志で動かそうとしているからです。
ですから、願望を実現しようとか、目的を達成させようとする場合には、この「空想」をいかに良い方向に持っていくかがコツなんです。
願望や目標が実現したときのすがすがしい気分や誇らしい気持ち、このことを空想することが実現への近道です。
逆に「失敗しないようにするには?」と考えたり、失敗したときの安全策を用意することのほうが、失敗の確率が高くなってしまいます。
私達日本人は特に、この「失敗しないように」という考え方をする傾向が、古来から強い民族のようです。
中には常に最悪の事態を想定しておいて、それを未然に防ぐために計画を立てておくほうが安心だ、という人もいます。
だけど、そういうもので得られる『安心』は、本当の安心とはほど遠いものです。
最悪の事態を想定していた人が、実際には最良の結果が出た時に持つ感情は「最悪にならなくて良かった」というものです。
それは危険を免れた事に対する安堵感にすぎません。
「最良の結果がでて嬉しい!」という幸福感とは全く別物です。
その最良の結果を味わう余裕が、そういう人にはないのです。
本来ならばもっと前向きな、無限の喜びや幸せ、希望に胸を躍らせていい瞬間のはずなのに、まるで解放されたばかりの人質のように疲れた顔で「あぁ、助かった・・・」と倒れ込むだけなのです。
我々大人は「子供達に明るい未来を!」なんていうスローガンを掲げたがりますが、本当に希望のある社会を作るには、我々大人が、常に心配に満ちて神経質に生きていたのでは無理な話です。
大人のほうが経験も知識も豊富だからといって、先回りして心配し、「失敗するな」なんて言っても駄目なんです。
心配も空想も、どちらもまだ見ぬ先のことに対して行うものです。
ならば、わざわざ心配のほうを選ばずに、積極的な空想のほうを選択したほうが良いのではないでしょうか?
なぜか多くの人は、そうすることに罪の意識を感じてしまうようです。
考えてみればおかしな話ですね?
病める時も、不景気の時も、災いの後も、未来への期待・空想こそが、その未来を切り開く原動力です。
心配は原動力にはなりません。
皆さんにもぜひ、最低でも一日一度は「美しい・明るい空想」に浸る習慣を持つことをお勧めします。
※空想と潜在意識のさらに詳しい活用法については、『願望実現方講座CD』で解説しています。