私達は普段、当たり前のように立って歩いていますが、この「二本足で立つ、歩く」というのは、実はなかなか凄いことなのです。
猿も二本足で歩くことがありますが、人間の歩き方、立ち方とは全く違いますよね。
四つ足で歩く(走る)ほうが早く、動きも機敏です。
二本足で歩いている時でも、前屈み気味で、いつでも手を地面につけられるように構えています。
だから彼らの手(前足)は、やはり半分は足であり、人間の手のように器用に動かすことは出来ません。
『二足歩行ロボット』というものがあります。
テレビで見たことがある人も多いでしょう。
しかし、現代の科学技術の力をもってしても、人間そっくりの歩き方をするロボットを作るのは簡単ではないそうです。
二本の足を交互に動かそうとすると、どうしても体重が左右に傾いてしまって、不安定な「よちよち歩き」のようになってしまったり、膝を曲げたままでお尻が下がった「へっぴり腰」のような歩き方になってしまうそうです。
人間が二本足で歩けるのには、様々な構造上の理由があります。
その一つは、骨盤が縦になっていて、しかもその骨盤の上(腰の部分)に反りができるような格好になっているという点です。
四つ足動物の場合は、骨盤が横向きになっていて、背骨が横に伸びています。
猿の場合も基本はそうです。
ただ猿は、膝を大きく曲げること、そして股を大きく開くことなどで腰を起こして立つことができます(もちろん、腰~背骨の反りもありますが)。
ところが人間は、元々骨盤自体が起きていて、腰に反りがあるおかげで、膝を曲げたり、ガニ股になったりして支えなくても、背筋を起こしていられるようになっています。
だから足には自由があります。
そのおかげで、二本の足でバランスを保つという器用なこともでき、その二本の足で歩き回ることもできるわけです。
逆に言えば、膝が伸びなくなり、ガニ股になってくると、足の機能が発揮できなくなってくるわけです。
そして膝の曲がりと股の開きは、腰が硬直したり、腰の力が無くなったりして、腰が曲がる(反るのと反対に、後ろに湾曲してくる)ことと連動して起こってきます。
そうなってくると、だんだんと猿の歩き方に似てきてしまいます。
よく足の衰えが全身の衰えの始まりである、というようなことが言われていますが、足の衰えというよりも、とにかく立って歩く力が衰えてくると、人の体は色々とガタが出始めてくるのです。
やはり人間の体は、背筋を起こして立って歩くことを基本として設計されているのでしょう。
背中を丸め、お腹や胸を縮めたままでは、お腹の臓器も、心臓も肺も、その力を充分に発揮できないようになっているのではないでしょうか。
そして人間が他の動物よりも格段に脳が発達しているのも、立っているおかげなのではないか、と私は勝手に推測しています。
背骨が横に伸び、その先に頭がついている四つ足の構造では、あまり頭を発達させることはできないのです。
…あくまでも勝手な仮説にすぎませんが、しかし人の脳の働きは、腰が曲がってくると鈍くなる傾向があります。
それに、赤ちゃんの脳は、立って歩くための足腰の発達と同時進行で育っていきます。
手指の細かい動きが出来るようになるのも同時進行です。
ともかく、人間らしさの代表的なものである、立って歩くこと、思考できる発達した脳をもっていること、自由に腕を使えること等、これらは全て互いに関連性を持っていることなんです。
そしてそれは、足腰の弾力というものに大きく左右されています。
弾力のある足腰を保つということは、いつまでも活き活きと、人間らしく生きていく上で必須と言えるでしょう。
ただ本当は、単にそのような身体の構造のお陰だけで、私達は立っているわけでもないんです。
様々な事情で立てなくなった人でも、人間らしく活き活き生きている人はたくさんいます。
どんなに人間の体が立てるような構造を持っていたとしても、それを操縦するのはその人の心に他なりません。
たとえば、有名な乙武洋匡さんは、足がなくてもしっかりと腰を起こして立っていますね。
それは単に腰や背筋の筋力うんぬんの問題ではなく、それ以前の、「自分の人生を生きよう」という心の力の現れなのでしょう。