痛みが訴えたいこと

体と心の話

慢性的に体調が悪い人にとって、その苦しみは体調の問題そのものばかりではありません。

その苦しみを分かってもらえないこと、特に同居する家族に理解してもらえないことは大変つらいものです。

 

病院に通っているのによくならない、毎日痛みが襲ってくる、なのに家族は「早く治せよ」みたいなことを言う。

そんなに露骨な言い方をする人は多くないかもしれません。

それに、最初のうちは心配してくれたかもしれません。

だけどその症状が長引けば長引くほど、「いつまでも痛い痛いと言ってないで、さっさと治してしまえ」と言われたり、しまいには無視をするようになってくる、というのがお決まりのパターンのようです。

 

それでも本人はつらさを訴えたくて、「そんなこと言ったって、本当に痛いんだ」とより強く訴えなければならなくなる。

しかしそれを聞いた家族のほうは「またかよ・・・」とイライラし始める、そんな悪循環に陥っている家庭は案外多いようです。

 

 

立場を変えて冷静に、客観的に考えてみると、見守る家族にとってつらいのは、「自分が何もできないこと」です。

家族が痛がっているのに、何もしてやれない。

せめて声をかけてあげるとか、ゆっくり休めるように家事や用事を手伝ってあげるとか、そういうことは出来るけれど、それで病気がよくなるわけではありません。

 

実はこのことはとても苦しいことで、ストレスになるのです。

ちょっと大げさに言うと、自分の無力さを直視しなければならないからです。

それが長引くと、だんだん「痛い、つらい」という声を聞くことが恐くなってきます。

その声を聞く度に、何もできない自分は家の隅で小さくなっていなくてはならない。

 

その時の態度は人によって異なります。

ある人はイライラし始めて「いい加減にしろ、早く治せ」と怒ったり、ある人は聞いていないフリをして淡々とした態度を取ったり、ある人はやたらと親切ぶって気を使いすぎたり。

でもいずれも、痛がっている側の人からしてみれば不満なのです。

 

もちろん、痛がっている本人としても、家族に何とかしてもらえるとは思ってもいないし、ましてや家族が何かしてくれたから楽になるわけではないことも、意識の上では重々承知です。

痛いと言ったところで分かってもらえないことも分かっています。

それでも訴えずにはいられない、そして時には「この痛みは、どうせあなたには分からないだろう」とまで言いたくなってしまうものです。

 

冷静に考えると、「あなたには分からないだろう」という発言は大変に矛盾していることがわかるはずです。

そして相手をますます萎縮させることもわかるはずです。

それでも言いたくなるこの言葉・・・実はここに、とても大きな意味合いが隠れているのです。

 

「痛い、つらい」と繰り返し訴える人の中には、本当に訴えたいことはその痛さやつらさではない、という場合がかなり多くあります。

本当に分かって欲しいのは、病気の苦しさではないのです。もっと他のことです。

 

そこには、普段会話には出せない、言葉には言い表せない不満や不安が隠れているのです。

もしくは、その不満や不安を口に出す勇気がなくて、溜め込んでいるのかもしれません。

 

また、中には「誰かにいつも守られていたい」「自分が弱者として守られていたい」という依存心が「痛い、つらい」という言葉に姿を替えている場合もあります。

もちろん口先だけではなく、全身全霊でそれを訴えるため、体が本当に痛みを発しているのです。

 

「あなたには分からないだろう」という言葉は、裏を返せば「分かって欲しくない」のです。

分かられてしまうと、相手と対等な立場になり、相手を許したことになる。

このことへの不満が潜在意識に潜んでいるのです。

 

自分が、あるいは家族が本当に訴えたい事は何なのか。

長引く不調を抱えている人の背後には、そういう医学的、生理学的なこととは全く別のものが潜んでいることも多いのです。

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