お正月や誕生日などの節目の時期になると、「今年はどんな一年になるのだろう?」「今年の運勢は良いのだろうか?」と気になる人は多いかと思います。
初詣に行けばおみくじの結果が気になることでしょうし、占いを気にする人が増える時期です。
しかし「潜在意識」の仕組みから言えば、一年の行方を占いに委ねるということは、決して良いことではありません。
自分自身の未来をあらかじめ予測しておくことによって、大きなトラブルを避けたり、勝負をかける時期を選んだりする、それはとても建設的な考え方に思えるかもしれません。
しかしそれは、自分自身が本来持っている「勘」のようなもの…それこそまさに潜在意識の能力なんですが、その能力を退化させることに繋がってしまうのです。
と同時に、「自分の身に起こる出来事は、自分自身ではコントロールできない」と自分自身に暗示をかけているようなものです。
トラブルが起こっても自分ではどうにもならない、実現したい目標があっても、それはあらかじめ決められた運命や世の中の流れ次第…そのような考え方を、自分自身の心の中に深く刻みこんでしまうことになるのです。
確かに、何もかもが自分自身でコントロールできるわけではありません。
自分の力だけではどうにもならないこともあります。
しかし、そんな環境の中でも、「選択肢」は必ずあるのです。
たとえ限られた条件の中であっても、どのような道を選ぶかは自分次第。
その選んだ道によって、辿り着く先が全く変わってくるのです。
いずれにしても、選択するのは自分、ハンドルを握るのも、アクセルを踏むのも、そしてブレーキを踏んでしまうのも自分自身だということです。
目に見えない大きな力や、大いなる自然の営みに感謝するのはとても素晴らしいことだとは思いますが、そのことと自分自身の一年、自分自身の人生を誰か、何かに委ねてしまうこととは別問題だと思います。
「運命」や「運勢」という考え方は、実は相手を支配する時にとても便利な言葉なのです。
もちろん、運命や運勢という概念を扱う占い師や宗教家達が皆、人を支配しようとしていると言いたいわけではありませんので、そこは誤解なさらないで頂きたいのですが…。
運命とか運勢というのは実体のないものですし、既に決まっていて、自分ではどうにもできないこと、という概念です。
従って、「これが運命ですよ」「こういう運勢ですよ」と言われてしまうと、それが不本意なものであろうがなかろうが、拒否出来ないのです。
いくら意識の上では拒否をしたとしても、「もしかすると・・・」という不安が何割か混ざってしまうものです。
運命や運勢を気にする時というのは、だいたいが心が弱っている時です。
心に傷がついている時です。
その傷の割れ目から、心の裏側にスルリと入り込んでしまうのです。
そうなると、今度はその運命や運勢のほうが逆に気になってきてしまいます。
意識では強く拒否していたはずなのに、いつのまにかその比率が逆転してしまうのです。
そんなふうに自分を見失ってしまわないよう、年末年始などの節目の時には「どんな一年にしようか」と考えてみてはいかがでしょう?
どんな一年に「なる」のかではなく、どんな一年に「する」という考え方です。
自分の環境、生活、健康、仕事・・・その中心に自分自身を置く考え方です。
そういう口癖や思考の癖をつけるだけでも、自分自身が、そして身の回りが変わってきます。
「◯◯になるといいな」ではなく「◯◯しよう」と口にするのです。
「◯◯しよう」と考え始めたとたんに、潜在意識は◯◯できる方法を探り始めるのです。
これが「◯◯になるといいな」だと、潜在意識は「◯◯になるまで、自分自身は動かない」という意味だと解釈するのです。
だからいつまでたっても答えや結果が出てきません。
「今年こそはいい一年になるといいな」と思っていても、何も変わらないのはそのせいです。