私達人間は普段、二本脚で立って動いています。
二本脚というのは本来、とても不安定なものです。
通常、脚が二本しかないテーブルなんてものはありません。
安定して立たせておくためには、最低三本の脚が必要です。
竹馬に乗ってみるとわかるように、脚が二本しかない場合は、止まっているのが難しいです。
常に動いていなければいけません。
二輪車が常に動いていないと倒れてしまうのと一緒ですね。
人間の場合は、内側に力が働きますから、二本脚でも立っていられますが、それでも実は長時間立ったままでいるというのは、大変体に負担がかかるものです。
立ち仕事の人でも、動きのある立ち仕事の人と、一定の位置に立ちっぱなしでいる人では、圧倒的に後者の人のほうが体を痛めやすいようです。
ともかく、やはり人の体は、動くことが大事なわけです。
動くために出来ている、と言っていいでしょう。
動かないと倒れてしまうわけですから。
動くということは、「行動する」ということでもあります。
行動するということは、目的を持つということでもあります。
目的といっても、利益が上がるとか、将来役に立つとか、そういうことばかりではないと思うんです。
理由はわからないけど、どうしてもチャレンジしてみたいとか、興味を惹かれることがあるとか。
メリットの有無にかかわらず、やってみようという意思のようなものです。
もしそれがないのなら、見つけるべきだと思います。
身の回りの、どんなに些細なことであっても。
他人からみれば、どんなにつまらないことであっても。
「面白いものなんて身の回りにない」とか、「こんなことやっても意味がない」とか、周りのせいにしていないで。
やはり人間の体は、そして心は、動くために作られているからです。
動くことをやめると人は、立っていられなくなります。
だから横になって、眠っていたほうが楽になります。
そして、今度はだんだんと、何もやる気がなくなってくる。
「やる気が出ない」とか、「いつまでも眠たい」「体が重い」という相談を受けることも度々ありますが、そういう人は、一度こういう観点で、自分の生活を顧みることも大事なんじゃないでしょうか。
動いているということは、本当は、だらだらと寝て休んでばかりいることの何倍も快適なものです。
そして動き疲れたら休む。
快適な休息というものは、そうして初めて得られるものであって、本体の目的は動くことです。
動くために休む、のです。