一見すると水が綺麗な川でも、底にはヘドロが堆積している、という場所も多いそうです。
汚れが溜まり過ぎ、固まっているせいで表面に浮いてこないだけで、いざ大掃除とばかりにかき混ぜると、一気にヘドロが浮いてきて、大変なことになってしまう。
そのため、なかなか手をつけられない、という場所も多いそうです。
しかしながら、ヘドロの堆積も度を過ぎると、直接水を汚すほどになってきます。
固まって静かにしていた汚れも、度を越すと溶け出してくる、もうその頃には、その川の自然環境は回復不可能な状態となっていることでしょう。
こういったことは、私達の体の中にも起こっています。
私達の体は急に病気になるかのように思えますが、そうではありません。
そのほとんどは何らかの要因が堆積された結果起こることです。
ですから、簡単に言ってしまえば、堆積させずに、こまめに排出していれば大病にならなくて済むわけです。
まだ“ヘドロ”が少ししか溜まっていないうちにかき混ぜて、流し出してしまえばいいのです。
当然少しのヘドロでも水は濁りますが、それも一時的なもの、やがて綺麗になくなっていくはずです。
こうした作業をしてくれているのが、風邪をひくこと、熱を出すことであったり、下痢をしたりすることです。
体の歪みや筋肉疲労なども“ヘドロ”の一つと言えます。
これらも風邪などを通して、或いは腰痛などの痛みを経験することで、解消されていくものです。
健康であることの一つの目安は、自己浄化能力があるかどうかです。
自らの力で、自らの内側にある“ヘドロ”をこまめに出していけるかどうか。
従って、「風邪ひとつひかない体」というのは、「長い間浄化作業をしていない体」ということになります。
浄化作業など必要のない綺麗な体なら話は別ですが、そのような人がいるのかどうかも疑問です。
多くの人が、時々風邪などをひいて浄化しておく必要があるのではないでしょうか。
そうしておけば、いつの間にか溜まっていたヘドロに体が侵されてしまった、なんていうことも起こらないでしょう。
整体を受けたり、体を整えるようなことを初めて、その効果が現れてくるに従って、様々な反応が起こります。
それこそ「浄化作用」の始まりで、溜め込んだヘドロが多い人は、それなりの苦しい反応を経過させなければなりません。
熱を出したり、関節が痛んだり、出血があったり、ということも珍しくありません。
しかし、それらを体の中にいつまでも封じ込めておくことの方が、余程危険なことなのではないでしょうか。
真剣に体と向き合い、根本から改善したいというならば、それくらいの覚悟を持って臨んで頂くべきだと思うのです。
人の心にも同じような仕組みがあります。
心の中にも“ヘドロ”を溜め過ぎないように、心にも時々風邪をひかせたほうがいいのです。
風邪も下痢も、出し切ることで体が浄化されます。
「病気」だとしてすぐに押さえ込んでしまうと内攻し、堆積されます。
同じように、悲しみや落ち込み、怒り、後悔なども「心の病気」だとして押さえ込んでしまえば内攻し、堆積されます。
出し切るまでは痛みを伴うものですが、根本から改善し、自分を変えてきたいのならば、やはりそれくらいの覚悟は必要だと思うのです。