ある人は一枚のTシャツを見て「素敵な色だね」と言い、別の人は「値段はいくら?」と聞き、また別の人は「肌触りはどう?」と気にし、また別の人は「ブランドはどこ?」と言う・・・
そんなふうに、同じ一枚のTシャツを見ても、全く人によって見る角度が違うわけです。
つまり、人によって「良いTシャツ」の定義が違うということです。
これは物を選ぶ場合に限った話ではありません。
人によって、「嬉しい」と思うものも違います。
場合によっては、自分が「嬉しい」と思うようなことが、他の人にとっては「不愉快」と思えるようなものであったりする場合があります。
あるお母さんが、幼い我が子に、子どもが喜びそうな可愛い服を何枚か買ってあげたのだそうです。
だけどお子さんは一切そういう服を好まず、グレーとか黒とか暗い色の服ばかり着たがるそうです。
「もしかすると、これは何か心に「闇」を抱えていることのサインでは?!」
そう心配になったお母さんに相談されたことがあるんですが、そのお子さんの様子をうかがうに、これはある「タイプ(体癖)」の感性を持った子だ、というだけで、特別問題視することでもないとすぐ分かったのです。
それでお母さんに、
「お子さんは、古くなった服とかオモチャを絶対に捨てたがらないでしょう?」
と聞くと、その通りだと言うのです。
ボロボロになった人形を大事にしていて、新しい似たような人形を買ってあげるといっても嫌がるものだから、何だか気味が悪いんだと。
それで我が子は「ナントカ障害」とかいうやつじゃないだろうか、と心配になっていたというんです。
「ところで、その人形には『定位置』がありませんか?」
と聞くと、お母さんは「なんで分かるんですか?」目を丸くして驚いています。
「少しでもその人形の位置が変わっていると、怒るでしょう?」
と聞くと、「掃除の時に動かして、元の位置に戻しているつもりなんですけど、なんだか気に食わないみたいなんです」とまたビックリしています。
お母さんの感覚で元に戻したつもりでも、ちょっとした向きがちがっていたり、他の人形との間合いが違っているだけで、お子さんにとっては不満なのです。
その辺の感覚が、お母さんとは全く違うだけなのです。
さらに、
「本当に大事なものは、見えないようにしまっておくんじゃないですか?」
と尋ねると、それもまたビックリしています。
「しかも、それって、お母さんから見ると、何も価値がないようなものだったりするでしょう?」
というと、「どこかから拾ってきたただの石のようなものを、何重にも梱包して保管しているんです」というのです。
でもそれも、お母さんの感覚からするとただの石にしか見えなくても、お子さんにとっては、何か重要な意味のある石になんです。
その意味に、正しいも間違いもなく、とにかくお子さんにとっては重要なんです。
だから誰にも邪魔されない場所に、そっとしまっておくのです。
このように、いろいろ言い当てるものだから、お母さんもとにかく驚いていたのですが、そのように言い当てる事ができた理由を、お母さんに簡単に説明しました。
それは、人の感性とか行動パターンにはいくつかの「タイプ」があるんだということ。
『体癖』のことです。
つまり、「そういうタイプの人は、みんなお宅のお子さんのような行動をするんですよ、だから全然異常じゃないんですよ」と。
「ただ、お母さんは全く違うタイプの人だから、お母さんの目線では異様に見えるだけで、視野を広げてみれば普通なんですよ」と。
こういうと、お母さんは今までの心配が全部吹き飛んだような、スッキリした表情に変わりました。
というのも、お母さんのほうは、「他の人と違う」ということに特に不安をもつタイプの人だったのです。
極端に言えば、「仲間はずれ」を強く恐れるタイプです。
そういうタイプだから尚更、自分とまったく価値観の違う我が子のことが、世間一般においても「違う」子なんじゃないかと不安で仕方がなかったのです。
だから「そういうタイプの子はみんな同じ」という言い方をされることで、安心できたのでしょう。
でももし、あの時にお母さんがそういう相談を持ちかけてこなかったら、どうなっていたでしょう??
お母さんはお子さんの「異様」に思える行動を、力づくでやめさせようとしていたかもしれません。
お子さん自身が着たくもない服を無理矢理着せられ、大切にしていた人形を簡単に捨てられ、宝物としてしまっておいたものを処分され・・・
もしそうであったら、お子さんは「自分の存在」そのものをないがしろにされ、粗末にされるのと同じような悲しさを感じていたことでしょう。
しかもお母さんは「よかれ」と思ってそうするわけですから、子どものその悲しみに気づくこともありません。
溝は深まるばかりです。
『違い』というものを本当に理解していないということは、こういう悲劇を生むことになるわけです。
いや、すでにそこら中で、こういう悲劇的な関係を毎日のように目にしています。
このことを、ぜひ多くの人に知って頂きたいな、と思う次第です。
当塾がしつこく「心の癖・体の癖~体癖」ということについて述べているのも、教材をつくり、講座を開くのもそのためです。
「みんな違って、みんないい」とか「個性が大事」とか、「ありのままの自分」とか、そんな奇麗な言葉が昨今あふれかえっています。
しかし、その個性とか違いとか、本当の自分っていうのは、一体どういうものなんでしょうね?
自分の本質について、自分と他人の違いについて、一度は真剣に、客観的に、そして具体的に学んでいただきたいと思います。
※心の癖・体の癖(体癖)については『心の癖・体の癖』PDFテキストでさらに詳しく説明しています。