昔、私は室内でウサギを飼っていたことがあります。
気の小さいウサギだったから尚更なのかもしれませんが、室内でのみ生活していましたので、部屋のドアを空けておいても、決して外に出ようとはしませんでした。
むしろ、「ドアが開いている」という、普段とは違う状況に怯えている様子でした。
ウサギにとっては、部屋の中がこの世界の全てだったんでしょうね。
改めて考えてみると、それはずいぶん窮屈な一生だったんじゃないだろうか?という疑問も拭えません。
室内だけでも満足していたのだから、それでいいんだと考えることもできるかもしれませんが、でもそれは人間の勝手な都合による、価値観の押しつけにしかすぎないのかもしれません。
動物の心身についてはよく研究していないので何ともいえませんが、少なくとも、私達人間の心はそのようにはできていません。
限られた枠の中でも、生きていくことはとりあえずできます。
しかしそれは、あまりにも不健康な生き方だというのが、長い間体と心を照らし合わせてみてきた私の、現時点での結論です。
本来、私達の心(や体)というものはもっと自由なもので、枠にはめられるようなものではない、と思うんです。
ドアの外にはもっと広い世界が広がっていて、そしてその世界に私達はどんどん飛び込んでいける。
もっと自分の世界を変えていくことができます。
もし現状に何か問題を抱えている、心身に何か問題を抱えているのだとしたら、それはもう、今いる部屋の中だけでは解決出来ないということなんです。
部屋の空気が濁ってきて、窓やドアを開けなければいけない、という時なんです。
窓を締め切った部屋の中で扇風機を回したところで、濁った空気が循環するだけです。
外から新しい空気を入れ、一方で濁った空気は吐き出さなければなりません。
同じように、「自分はこの部屋の中で育ってきたから」「この部屋の中のルールがあるから」と、今までの自分にこだわっていたのでは、問題の答えなんて見つかるはずがないのです。
ましてや、過去の自分をほじくり返したって、使い古しの情報しか出てきません。
答えはきっと、ドアの外にしかないのです。
当塾の潜在意識関連のCDの中では、常にそのようなことを言っています。
今まで経験したことのないことにチャレンジしてみるとか、経験上、どうすればいいのか分からないような願望を持つとか。
「私は○○だから」「自分は□□で育ってきたから」「うちは◇◇な家系だから」と自分を縛り付けている人は、是非その縄を解いて考えてみてほしいと思います。
意外と○○でも□□でもきることは、いっぱいあることに気づくはずです。
いやむしろ、実は自分は○○でも□□でも◇◇でもなかった、ということに気づくことでしょう。
そして、「社会とはこういうものだ」「会社とはこういうものだ」「仕事とは…」「家族とは…」というようなこだわりもとれてくることでしょう。
特に若い人達、子ども達にはそのような自由な心を持っていただきたいものですが、でも、実は彼らの自由な心に制限をかけているのは、我々大人なのかもしれません。
子どもたちよりも多くの「過去」を持ち、それらに縛られているのは私達大人のほうかもしれません。
だからこそ、大人のほうこそ、そういう心の勉強をしなければならないのではないでしょうか?
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