ちょっと前に、『言霊(言魂)』という言葉が流行っていました。
元々は神道にある概念のようですが、多くの場合「言葉にはそのものに力がある」という意味にとらえられていたように思います。
どんな言葉にもその言葉そのものに霊力のような力があり、その言葉を用いるだけで実はその影響を受けている、そんな解釈だと思います。
だからネガティブな力をもつ言葉を用いてはいけないし、下手に悪い言葉を使ってしまうと、それだけで不幸を招いたり、健康を害したりすることにもなる・・・と。
しかし、本当はその解釈は間違っていると私はずっと思っています。
私は神道の専門家ではありませんから、元来の言霊の意味はよくわかりませんが…。
その上で、「言葉には力がある」という考え方そのものには賛同するのですが、その「力」というのは、用いる人、発する人によって、またはその使い方によって全く変わって来る、そう感じています。
簡単に言うと、上っ面の言葉には、なんの力もない、ということです。
いっぽう、以前流行った言霊の解釈はそうではなくて、たとえ軽い冗談であっても、言葉そのものに力があるから、悪い言葉は口にしてはいけない、というもののようです。
たとえば、私も子どもの頃には兄弟や友達とよくケンカをしました。
子どものケンカなんて、だいたい汚い言葉の応酬です。
「お前なんか死ねアホ!」
なんて、当たり前のように連発していました。
でも、そんなことを言われた相手がアホになるわけでもなく、言われたからと言って死ぬわけではありません。
大人でも、よく口にするでしょう。
仕事が忙しいときなどに、「忙しくて死にそうだわ・・・」なんてつい愚痴ってしまう。
だからといって、本当に死ぬわけではありません。
そんな上辺だけの言葉の影響で、人は死んだりしないのです。
人間の命というのは、もっと強くて重いものです。
別の例をあげましょう。
ダラダラとさぼってばかりいて、仕事をしない部下がいたとします。
上司が怒って「やる気がないなら帰れ!」と言ったとします。
「いや、やる気はあるんスよ…」
そんな言葉をいくら言ったとしても、その部下の心の中にやる気が湧いてくることなど、永遠にないでしょう。
その場凌ぎの、気持ちの入っていない言葉なんて、まったく力を持たないのです。
やはり言葉の影響力というのは、本当はその言葉そのものの力ではなく、使う側や聞く側の問題です。
たとえば、いろんな経験が豊富で、人間的な魅力に溢れている人の言葉はとても重く響くでしょう。
そういう人の言葉には、力があると言っていいかもしれません。
しかしそれは、言葉の力というよりも、その背後にあるその人の経験や人間性による力です。
違う人が同じ言葉をそっくりそのまま真似して言ったところで、きっと胸には響かないでしょう。
もちろん現実を変える力などありません。
ともかく、現代はそういう、言葉だけの「言霊」的なものに左右される時代ではないと思うのです。
依存すべき時代でもないでしょう。
大昔は、宗教的、あるいは政治的なリーダーの影響力がとても大きな影響力を持っていた社会だったと思うのです。
一般民衆は個人個人の自由な考え方、生き方を持つことが許されなかった環境です。
だからリーダーの言葉に身を委ねることが懸命な生き方だったのでしょう。
しかし今は、自分自身が自分の言葉を持つ時代です。
他人の言葉に影響され、まるでアレルギー反応のように人の言葉に怯え、神経を尖らせている場合ではないと思うのです。
様々な情報が、言葉が飛び交う時代だからこそ、自分を持たなければ逆に翻弄されてしまう、そんな社会環境なんだと思います。
また、そういう意味で、自己暗示、アファーメーションの言葉などと言うのも、ただ前向きな言葉を並べればいい、というわけではないんです。
いくら積極的な言葉をつぶやいていても、中身が伴わなければ意味がありません。
それらの言葉を毎日唱えるだけとか、紙に書いて貼っておくだけでは結果が出ないようです。
もちろん、それらを利用して成功している人も大勢いますし、そのこと自体は当塾でもお勧めしていることです。
しかしそれ「だけ」ではありません。
別の要素が、その言葉に現実味を帯びさせてこそ、のことです。
※自己暗示や言葉以上に必要なこと・・・是非『願望実現法講座』CDをご参照ください。
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