私が何かの資料に職業を書くときは「自営業」と記入することが多いです。
実際、当塾は法人ではなく、私の個人事業所となっていて、毎年3月には確定申告を私自身が行っているんです…。
実は、この仕事を始めるずっと前に、別の業種での個人事業をしようかな、と考えていたことがあります。
そして以前務めていた職場をやめ、その事業のノウハウを学べる場所を選び、そこでアルバイトを始めました。
その時、私は既に親元を離れていましたが、一応両親に報告しておこうかと思い、実家に出向いてその話をしました。
まぁどうせ反対するのは分かっていたことなんだけど、それでも既にじゅうぶん大人なんだし、ややこしい話にはならないだろうと思ってはいたのですが・・・
案の定、両親は反対というか、残念がっていたというか、心配で仕方ないというような様子でした。
結局その場は適当に報告して帰り、あとは勝手に進んでいったわけですが。
昔の人には多い考え方ですが、私の両親も例外ではなく、「大きな安定した会社に入るか、公務員になるか」が幸せに生きるための条件だ、と考えていました。
「公務員なら生活が安定する」
「大企業なら保障がしっかりしている」
「自営業だと不安定になる」
「小さな会社に務めていては家族を養えない」
「貯金がないと結婚もできない」
「マイホームを建てられないと幸せではない」
そのような、「こうすれば、こうなる」「こうでなければ、こうなってしまう」というようなことを沢山言われてきました。
どちらかというと、そういうことを言うのは母親のほうが多かったような気がします。
その考え方自体は、父親のほうが強かったのかもしれません。
ただ母親のほうが、そういうことを私達息子に言う機会が多かっただけかもしれません。
その自営業の話をした時も、とにかく心配でしかたなかったのは母親のほうでした。
「そんな、自分で商売をするって言ったって、うまくいくもんじゃないよ」
「お金がかかるし、法的にもそういう商売は大丈夫なのか?」
ちょうどバブルが崩壊した直後だったという時期もあったのでしょう、「景気も良くないんだし」みたいなことも言っていました。
でも、その時ふと思ったんです。
よく考えてみれば、父も母も、自営業の経験なんて全くないだろう?と。
特に母は、若い頃に短期間会社勤めの経験はあるけど、フルタイムで働いたのはその数年だけ。
しかも30年以上前の話です。
冷静に考えれば、自分のほうが現代での社会経験が豊富ではあるんです。
それにある程度、資金繰りのこととか、税金のこととかの下調べは既にしていましたし、明らかにそのことについては私のほうが知識もあるのです。
まぁ、心配する親の気持ちも当然わかるんですが、何を根拠に「自営業だと不安定」だとか、「幸せになれない」とか言っているんだろう、ととても疑問に思ったんです。
何を勝手に決めつけているのか、と。
仮に、両親が自営業を経験して、大変な苦労を味わって不幸になった、息子にはそんな苦労をして欲しくない!というのなら、少しはわからなくはないんです。
でも、わかるのはほんの少しだけ、その心情の一部だけです。
仮に親にそういう経験があったとしても、私と親の経験は全く別物です。
時代背景だって違うし、まったく同じ経験をそっくりそのままする筈もありません。
だから、仮に親がそれで苦労をしたからといって、息子の私まで同じ苦労をするなんて、決めつけられるはずがないんです。
もちろん、逆のパターンだって同じです。
仮に親が大企業につとめて、経済的に安定した生活を送っていて、家族にも恵まれ、とても幸せな人生を送っていたとします。
だからといって息子も同じような道を選べば、同じように幸せになれるとは限りません。
もちろん、違う道を選んだせいで、不幸になるわけでもありません。
だから、「こうすれば幸せになる」「こうすれば不幸になる」
「こうすれば成功する」「こうしなければ失敗する」
なんていう答えは、最初からあるはずもないんです。
こういう「○○すれば幸せになる」「○○しない人は不幸になる」という考え方が、昔の独裁社会、縦割り社会の名残なんだろうと思うんです。
上に立つ者が、下に立つ者に言うことを聞かせるため、言葉は悪いですが「脅し」のようなものです。
「お母さんの言うことをちゃんと聞いていれば、とってもとっても、幸せになれるよ」なんていうのも脅しですよ。
決して希望を与えているんでもなければ、可能性を伸ばしてあげているんでもない、母親の考え方のみを押し付けるための脅しにすぎません。
そしてこの、「○○すれば・・・」という考え方ほど、人の心や体の可能性を縛るものはありません。
「○○すれば□□になる」なんていうのは、「□□になる」という選択以外をさせない言い方ですから。
私達は知らないうちに、この「○○すれば□□になる」という考え方に縛られ、自分を、そして周りの人達を枠の中に綴じ込め、がんじがらめにしているのです。
「マンガを読むより教科書を読んだほうが頭が良くなるよ」
「ゲームばかりしていたらバカになるよ」
「白米ばかり食べていると癌になるよ」
「お金持ちと結婚すると幸せになるよ」
「外国人と結婚すると苦労するよ」
「夏の恋は長続きしないよ」
「自己資金なしで開業すると失敗するよ」
「外で遊んでばかりいると風邪をひくよ」
「仕事とプラベートは分けたほうがストレスにならないよ」
「神様を信じないと罰が当たるよ」
・・・数え上げたらきりがありません。
でも、マンガばかり読んでいても頭がいい人もいれば、国際結婚をして幸せになっている人もいます。
資金ゼロで成功した起業家もいれば、夏に海でのナンパがきっかけで結婚し、幸せに暮らしている人もいるでしょう(笑)
もちろんマンガばかり読んでいる頭の悪い人も、国際結婚してすぐ離婚した人も、開業して借金まみれになった人も、海から帰った途端に恋が覚めた!という人もいるでしょう。
つまり、マンガのせいでも、国際結婚のせいでも、資金のせいでも、夏のせいでもなんでもないんです。
仮にどんな条件であったとしても、その何かの条件のせいにしなかった人が、きっと幸せになっているんだと思います。
そもそも、その条件のせいで幸・不幸が決まるという考え方自体が、自分の人生を走り抜けるためのハンドルを手放すことを意味しているんだと思います。
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