個人的な話になりますが、私の実家の父が2ヶ月ほど前に調子を崩し、その後入院しました。
最初は咳がひどくて息苦しいということで、肺炎と診断され、しばらくは自宅療養に。
そしてその後喀血して緊急入院。
もう90歳も過ぎているし、近年どんどん体が弱っていることを感じていたので、この時にはもしものことも覚悟しました。
そしてその後もあまり良くならない状態が続き、ある朝、急に容態が悪くなったと連絡がありました。
明日までもつかどうか、という状態だということでしたが、夜遅くに処置が効いたのか、一命を取り留めました。
ただその後も、起き上がることもできない、食事を摂ることもできないまま数日。
コロナ禍のため面会も断られていて、病院と実家(兄)のやりとりの報告を待つしかできません。
そこで、私ができることはただ一つ。
以前にも紹介した、「遠隔愉気」です。
非常に誤解されやすいものではありますし、その効果のようなものを科学的に証明することもできません。
実際にこれをおこなったとしても、良くなる、治るという保証はありません。
本人の持っている体力以上のものは発揮できないし、自然の摂理に逆らうことなどできないのです。
ただ、潜在的に持っている体力・生命力が発揮できていないのであれば、まだ生きる力が残っているのであれば、それを援助することはできるのかもしれません。
そんな理屈はともかく、ただもし回復できる力があるなら回復して欲しい、という思いがありつつも、一方ではそれで駄目なら寿命だし、とにかく楽に残りの日々を過ごして欲しい、という思いで、「遠隔愉気」を日々続けました。
といっても1日あたりほんの5~10分程度です。
これが功を奏したのかどうかは、確認しようもありません。
たまたま良くなっただけなのかもしれませんが、その後だんだん食事が摂れるようになった、手紙を書けるようになった、立って歩く練習を始めた、などの報告が届くようになりました。
やがて、退院して家に帰ってからのことを考えるようになり、そのことを手紙に綴って兄に渡すようにまでなっていました。
そしてようやく、退院の日を迎えることになりました。
両親、兄弟ともに、私がやっている整体のことには全く関心も理解もありません。
なので、「愉気」がどうのこうのという話などもちろんしませんし、受け入れてもくれないでしょう。
なので、本人には黙って勝手にやっています(笑)
繰り返しますが、父の回復(と言っても、まだいつ何があってもおかしくない状況ではありますが)が、愉気の効果であるとは言い切れません。
だけどもし似たような境遇の方、あるいは今後そのようなことになった時、「愉気」の経験がある方は、このエピソードを思い出してみていただければと思います。